mixiユーザー(id:15681123)

2019年10月24日09:02

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 ”合格おめでとうございます”

 

 これまでの74年の人生で私宛ての電報を受け取ったのは 後にも先にも たった一度、この1通だけです。
(結婚式で頂いた電報の他にです)
大体 電話もなく電話局そのものが田舎の私達にはゼロ関係のお役所でした。電報は特定郵便局であつかってました。 電話で電報打つ職員さんを見て(耳で聞いて) ”あいうえお”の発声練習みたい (あさひの”あ” イロハの”い” 上野の”う”、) 何してるのだろうと思いました。、
 母は友達が多い幅広い人でした。商売も絡めて面倒見が良かったからです。人柄に大勢の人が寄ってくれたのです。店に客がいないとお茶のみ客がいて誰もいない日は珍しいほどでした。母が花緒をすげる下駄が履きやすいと評判でした。分厚い貸付け帳の未払い金は秋の収穫時の後に頂けるのですがそれでももらえないところの請求書がお米や野菜に代わることも多かったようです。皆貧乏な時代です。母はその人達の 生活が楽になってからも亡くなるまで慕われお付き合いが続きました。
 お友達の御主人で電話局勤務の方がいました。子だくさんの家族は履物もそれだけたくさん必要です。そこの家で1才違いの男の子と電車は知らないのに窓の外へはみ出した手すりにつかまって電車ごっこで遊んだ記憶、なんで電車だったのだろう?おじさんの顔は忘れたけど名字は一文字で 名前は五文字、合計6文字。住まいが遠くはなれても母の交流は続いて、私を思い出してくださったのでしょう。生まれて初めての嬉しい嬉しい電報でした。
鉛筆の”え”、とか、、今、電報を使う方はいるかしら?
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