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2019年09月11日08:34

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「唯識三+頌」� 糞�敬頌)〜(第四頌)

 以下、世親菩薩造(玄奘三蔵訳)「唯識三+頌」(ゆいしきさんじゅうじゅ)の原文、読み方、訓読、現代日本語訳を列挙します。

(一)(帰敬頌)(ききょうじゅ)〜プロローグ〜
(原文)
 稽首唯識性 満分清浄者
 我今釈彼説 利楽諸有情
(読み方)
 けい・しゅ・ゆい・しき・しょう まん・ぶん・しゅう・じょう・しゃ
 が・こん・しゃく・ひ・せつ り・らく・しょ・う・じょう
(訓読)
 唯識の性において満に分に清浄なる者に稽首す。
 我、今、彼の説を釈し、諸の有情を利楽せん。
(現代日本語訳)
 一切の存在はただ自己の識(心)の作り出した仮のものであるという物事の本質を前にして、全てが清らかな仏陀、また、その仏陀を目標に仏道を歩む世親菩薩に深く首を垂れ帰依します。
 私(「私」とは、玄奘三蔵のこと)は、今、この考え方を明らかにし、生きとし生けるものと共にこのうえない悟りの境地に到達したいと思います。


(二)(第一頌)〜世界を作り出しているものとは〜
(原文)
 由仮説我法 有種種相転
 彼依識所変 比能変唯三
(読み方)
 ゆ・け・せつ・が・ほう う・しゅ・じゅ・そう・てん
 ひ・え・しき・しょ・へん し・のう・へん・ゆい・さん
(訓読)
 仮に由って我と法ありと説く。種種の相、転ずることあり。
 彼は識の所変に依る。この能変は唯三のみなり。
(現代日本語訳)
 私や私をとりまく状況も実体として有ると説く人はいます。しかし、あらゆるものは、さまざまなる因縁が一時的に和合して仮に有るにすぎません。すべては、変化のさなかにおいて一瞬一瞬有るというだけです。
 そういう世界にいるのが私たちであり、その世界は、まさに私たちの識(心)が作り出したものに他なりません。そして、その世界を作り出す識(心)には、三つのものがあります。


(三)(第二頌)〜世界を作り出している三つの心〜
(原文)
 謂異熟思量 及了別境識
 初阿頼耶識 異熟一切種
(読み方)
 い・い・じゅく・し・りょう ぎゅう・りょう・べつ・きょう・しき
 しょ・あ・ら・や・しき い・じゅく・いっ・さい・しゅ
(訓読)
 謂く、異熟と思量と及び了別識なり。
 初めのは、阿頼耶識なり。異熟なり一切種なり。
(現代日本語訳)
 その三つのものとは、異熟識、思量識及び了別識のことです。
 そして、最初に挙げるべきものは、阿頼耶識です。異熟識とはこれを指します。また、阿頼耶識は、一切種子識(いっさいしゅうじしき)ともいいます。


(四)(第三頌)〜世界を作り出している心〜阿頼耶識(その一)〜
(原文)
 不可知執受 処了常与触
 作意受相思 相応唯捨受
(読み方)
 ふ・か・ち・しゅう・じゅ しょ・りょう・じょう・よ・そく
 さ・い・じゅ・そう・し そう・おう・ゆい・しゃ・じゅ
(訓読)
 不可知の執、受、処と了なり。常に触と
 作意、受、相と思とともなり。唯、捨受とのみ相応す。
(現代日本語訳)
 阿頼耶識は、(心の深層領域に茫漠と広がる無意識の世界です。そのため、)その認識対象のことも、その対象を知るはたらき(了)のことも、私たちは知ることができません。すなわち私たちは、それらの全貌を知ることはできません。ここに、阿頼耶識の認識対象とは、過去の行動情報(執)、肉体(受)、自己をとりまく環境(処)のことをいいます。
 そして、阿頼耶識に常に相応する心のはたらきには、「触」、「作意」、「受」、「相」、「思」の五つがあります。
「触」とは、心を認識対象に接触させること、をいいます。
 「作意」とは、心を起動させること、をいいます。
「受」とは、認識対象を苦又は楽、あるいは、そのどちらでもないものと受けとめること、をいいます。
「相」とは、受けとめたものを自己の枠組みに当てはめること、をいいます。
「思」とは、認識対象に具体的にはたらきかけること、をいいます。
ただ、阿頼耶識は、「受」については苦でも楽でもなく、ありのままに受けとめます(捨受)。


(五)(第四頌)〜世界を作り出している心〜阿頼耶識(その二)〜
(原文)
 是無覆無記 触等亦如是
 恒転如暴流 阿羅漢位捨
(読み方)
 ぜ・む・ふく・む・き そく・とう・やく・にょ・ぜ
 ごう・てん・にょ・ぼ・る あ・ら・かん・に・しゃ
(訓読)
 是(これ)は無覆無記なり。触等も亦是(かく)の如し。
 恒(つね)に転ずること暴流れの如し。阿羅漢の位に捨す。
(現代日本語訳)
 阿頼耶識は、無覆、すなわち、仏道を歩む上で障害となるようなものとは関係がなく、また、阿頼耶識の性質は、無記、すなわち、善でも悪でもなく中立です。そして、阿頼耶識に常に相応する「触」「作意」「受」「相」「思」もまた無覆であり、それらの性質もまた無記です。
 また、阿頼耶識は、大きくうねりながら流れる川の如く、常に流転するものです。このような阿頼耶識は、阿羅漢といわれる清浄な境地に到達すれば止滅してしまうでしょう。

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