何かを実行しようとするとき、
それが実現可能かどうかという判断をします。
そして、実現できないとどこかで判断したら、
あきらめるという事をします。
あきらめるに至るための判断材料は、
例えば、実現させるために必要なことを、
自分の能力で満たすことができない、
という事だったりします。
実現させたいことを、
実現させるために必要なことが、
途方もなくたくさんあって、
それを全部そろえるのは無理、
という事を思ったら、
あきらめるしかない、
という事になるかもしれません。
しかし、自分の目から見て不可能だから、
あきらめる、という事が、
とてももったいない場合というのもあります。
自分に考えられることは、
結構、小さくて一面的だったりするのだから、
不可能と思えることを、
不可能と決めつけなくても良いのかもしれません。
だから、実現できそうもないことについて、
実現できる見込みが状況の中に見えなくても、
一歩踏み出すという事ができます。
自分の思いを超えた所に存在する、
大いなる方を認め、
その方が約束していることに信頼できるなら、
不可能なように見えることについて、
一歩踏み出すことができます。
その約束の保証を、
確かに受け取ることができます。
明日は最寄りのキリスト教会へ☆彡
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