素晴らしい本に出合いました。稲盛和夫さんの「哲学」PHP文庫です。
内容も深く分りやすく、思わず、うーんっ、と唸りました。
「運命か因果関係か」について、次のように解説していました。
人生を形成するものには二つあります。
一つは、その人が持って生まれた運命です。自分の意思や遺伝子の力が及ばない「何か」──運命の範疇に属することです。
もう一つは、「善根は善果を生み、悪根は悪果を生む」という「因果応報の法則」です。
つまり、われわれの人生をつくっている要素には、その人がもって生まれた「運命」と、その人の現世における思いや行動によってつくられる業(カルマ)がなす現象との二つがあるわけです。
ここで大事なことは、「因果応報の法則」が「運命」より若干強いということです。
そのため、われわれはこの「因果応報の法則」を使うことで、もって生まれた「運命」をも変えていくことができるのです。つまり、善きことを思い、善きことを行うことによって、運命の流れを善き方向に変えることができるのです。
東洋の政治哲学の権威・故安岡正篤さんは、その著「運命と立命」のなかで、「運命は宿命ではなく、変えることができる。それには因果応報の法則が大事なのだ」と述べ、中国の古典「陰隲録(いんしつろく)」という本から袁了凡(えんりょうぼん)という人物を次のように紹介しています。
袁了凡は、代々医者の家に生まれたので、親は息子に医学を学ばせていたところ、ある日、立派な老人が訪ねてきて、こういうのです。
「私は理法(易)をきわめた者です。袁了凡に天命が下ったのでやってきました。
お母さんは、この子を医者にしょうとお考えかもしれないが、彼は科挙の試験に通り、立派な役人になります。
県で受ける一次試験には何番でとおります。二次試験、三次試験も何番で受かります。そして科挙の本試験に臨む前に役人になり、若くして地方長官に任じられます。結婚しますが、子供さんはできません。そして53歳で亡くなる運命です」
袁了凡は医者になるのをやめ、役人の道へ進みます。すると、おそろしいぐらいに老人の言ったとおりになっていく。何番で試験に受かるのもそのとおりなら、地方長官になるのもそのおりでした。
すべてが、老人が予言したとおりだったのです。
その後、南京の公立大学に進学することになった。袁了凡は、雲谷禅師という素晴らしい老師がいること禅寺を訪ね、相対して三日間、座禅を組みました。
「お若いのに、一点の曇りも邪念もない素晴らしい座禅を組まれる。これほど素晴らしい座禅を組む若い人を見たことがない。一体どこで修行をなされたのかな」。
雲谷禅師が感心して言いました。
これに対して、袁了凡は、子供のころに出会った朗人のことを話しました。
「私の今日までの人生はその老人の言葉と一部の狂いもありませんでした。すべて老人の言ったとおりです。子供もできませんし、おそらく53歳で死ぬのでしょう。だから、思い悩むことは何もないのです」。
その話を聞いた雲谷禅師は一喝しました。
「悟りを開いた素晴らしい男かと思ったら、そんな大馬鹿者だったのか」。
そして、「老人があなたの運命といったと言うが、運命は変えられないものではない」と言って、善きことをすればよい結果が生まれ、悪いことをすれば悪い結果が生まれるという「因果応報の法則」を説きました。
「善きことを思いなさい。そうすれば必ず、あなたの人生も好転します」
そう言われた袁了凡は、「自分は間違っていた。老師の言われたように、今後は善きことをしていこう」と誓い善きことをすればプラス1点、悪いことをすればマイナス1点というように、点数をつけ、日々善きことを重ねるよう努めました。その後、袁了凡は、73歳まで生きながらえました。
また、できないといわれた子供にも恵まれました。袁了凡は、こう語ったそうです。
「雲谷禅師に出会うまでの人生は、運命のとおりだった。しかし、そのあと考え方を変え、善きことに努めたところ、お前が生まれ、本当なら53歳で死んでいなければならないのに、70を過ぎた今でも元気だ。なあ、息子よ。人生とは、善きことを重ねることで変えられるものなのだよ」。
「運命」と同時並行に流れるもう一つの「因果応報の法則」があります。この法則を使えば、決まっているはずの「運命」すらも変えることができるのです。
このことを「立命」といいます。そうとすれば、我々はこの「因果応報の法則」をもっと有効に使って「運命」を変えていくべきではないでしょうか。
このように、「運命」と「因果応報の法則」が縒(よ)り合うようにして人生が形づくられているのです。そして「因果応報の法則」のほうが、「運命」に勝り、人生を変えていくことができるのです。
たとえば、運命的に大変悪い時期に少しくらい善いことをしても、それくらいでは事態は好転しませんし、逆に運命的に非常によい時期に若干悪いことをしても、打ち消されて一向に悪くならないこともあるのです。
このことから、
「あんな悪いことをしている人が、どうして幸せな人生を送るのだろう」とか、
ある人が、信頼置ける霊能力者にみてもらったところ、
「この人は、今年たいへん悪い運命にあり、おそらく大病などを患っているはずだが、それが平穏無事だとすれば、近年素晴らしくよいことをされたに違いない。これほど運命的に悪い時期に、体調も仕事も順調であるはずはない」
ということがあるのです。
結局、我々が善き意識をもったとき、それは宇宙に充満する「すべての生きとし生けるものよ、良かれかし」という意識──創造主の意識といってもよいかもしれませんが──に合致するのです。
そのような美しい個人の意識は、宇宙の波長が合い、物事が成功、発展へと導かれていくのです。
逆に、宇宙の意識に逆行すれば失敗するのです。
「因果応報の法則」は「カルマの法則」でもあります。
今、我々が行っていること、思っていることが、何年先か何十年先かわかりませんが、やがて必ず起こる結果を作っているのです。
今、つくっている業(カルマ)が原因となる現象は将来必ず現れるのです。
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