下記は、2019.6.4 付の 【加藤達也の虎穴に入らずんば】 です。
記
金正日(キムジョンイル)総書記時代の困窮ぶりを脱北者が皮肉った韓国のジョークがある。
経済失政の余波が軍にもおよび、末端兵士は日用品にも事欠く中、不満と失望が限界に近づいていたある日、とある部隊で将校が言った。
「諸君! きょうは良い話と、悪い話がある。まず良い話だが、諸君は下着の交換が認められた」
歓声をあげる兵士を一瞥(いちべつ)し、将校は話を続けた。
「次に悪い話だが、下着は、隣の同志と交換だ」
2011(平成23)年、既に筆者が紹介したものだが、最近“後日談”があることを知った。交換のためにズボンを脱いだ兵士らは、下着をはいていなかったらしいのだ。
これには背景説明がつく。北の内部で、経済制裁が近く解除されるという期待感が高まり、さらに“間もなく韓国製が支給される”との噂も広がった。そこで兵士らは新品が手に入るならばと、はき古した北製を思い切って脱ぎ捨てた。だが結局、すべては捕らぬ狸(たぬき)の皮算用となる−。
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朝鮮半島から物騒な話が漏れ伝わる。2月末の米朝首脳会談で実務者協議を担った金革哲(ヒョクチョル)国務委員会対米特別代表が、金正恩(ジョンウン)朝鮮労働党委員長を裏切ったとして処刑されたとの情報を韓国の朝鮮日報が伝えた。
労働新聞は先月30、31日、誰を指すともなく「反革命分子は恥ずべき終末を迎えるだろう」と“血の粛清(処刑)”を暗示した。処刑を示す具体的な根拠はまだないが、「反革命分子」は正恩氏の叔父、張成沢(チャンソンテク)氏銃殺の際にも用いられた単語で、今後の北の発表に注目したい。
ただ、「処刑」報道の真偽とは別に、ハノイ会談の前後で正恩氏をめぐり北で何が起きたかを推測することは重要である。
ハノイ会談の前、世界のメディアや専門家らの大方は、ノーベル平和賞に目がくらんだトランプ氏が正恩氏と安易な妥協をするのではないかと危惧していた。北にとって、国際社会のこのムードは、会談結果を楽観させるものだった。
当然、北では制裁解除で生活の改善を当て込んでいた特権層や軍人を含む幅広い人々の期待値が上がる。
制裁解除という成果は、正恩氏にとって絶対に持って帰らなければならない最低ラインとなった。しかし会談は決裂。人々が受けた失望は外部から見る以上に大きかったに違いない。
今回の「処刑」報道はまず、この流れの中で読む必要がある。
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米朝交渉筋によると、金革哲氏は事前の協議で、非核化について自分には語る権限がなく、最高指導者の決定に委ねられるとだけ主張したという。個人独裁国家の外交で、単なる交渉代表にすぎない者が個人的意見を語れないことは常識である。正恩氏は事前の合意に頼らず、本番の首脳会談でトランプ氏を丸め込んで制裁解除をもぎ取る作戦だったとみられる。
ところが正恩氏は本番で、米側の想定外のハードな姿勢に押される。制裁解除どころか、生物・化学・核兵器に米直撃可能なICBM(大陸間弾道弾)の廃棄、拉致問題では言い逃れを封じ込まれて安倍晋三首相と会ってもいいとの言質まで取られた。
日米情報当局の分析ではハノイ会談での屈辱的な結果を受け北では3つの不安要素が強まったとされる。
(1)特殊部隊以外の兵士に栄養失調者が増加し忠誠心が弱体化(2)政権内での中国依存を強める者と対米交渉を志向する者の認識の差(3)正恩氏の外貨獲得機関(39号室)の海外部署で公金持ち逃げが続発−。どれも、これまでは考えられない事象だ。死活的な問題に直面したともいえる正恩政権が、次にどんな手に出るか。当然、日本への影響にも要注意だ。
https://www.sankei.com/world/news/190604/wor1906040001-n1.html
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