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2019年05月05日12:19

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ギーター 第7章 イーシュヴァラ(全体世界)についての知識の章



ギーターの7種から12章は「タット」「イーシュヴァラ(全体世界)」が主なテーマとなります。「タット」とは「イーシュヴァラ(全体世界)」のこtです。

1〜6章までは個人の真実について、つまり自分自身の本質はアートマン(真我、真実)であるということが語られました。
7〜12章は全体世界の真実、ということが主要なテーマになります。

「イーシュヴァラ(全体世界)」の本質と、それを元に現れた「イーシュヴァラ(全体世界)」の特性についての知識のことを「ニャーナ(間接の知識)」といいます。そしてその知識を深く理化し、自分のものにすることを「ヴィッニャーナ(直接の知識)」といいます。この二つの知識についてこの章では述べています。

自分から離れた物を知る知識のことを “間接の知識” といいます。そのことをこの章では、「ニャーナ(間接の知識)」という言葉で示します。
自分自身についての知識を “直接の知識” といいます。世界と個人とは全く違いがない一つの真実であるということを、まさに自分自身のこととして理解することを「ヴィッニャーナ(直接の知識)」といいます。
世界として現れている「イーシュヴァラ(全体世界)」と個人は繋がっていることを知り、最終的に “イーシュヴァラと個人は一つである” という事実を納得し実感して、自分自身の知識として理解することが「ヴィッニャーナ(直接の知識)」です。
『ヴェーダーンタ(聖典の最終章)』の最終的なエッセンスは「タットトヴァンアシ
(That is You. あなたは全体です)」です。

クリシュナは、“イーシュヴァラと私は一つである“ というこの知識の理解の他に、この世で知るべきことは何もないといいました。
そして、この事実を知るために努力するのは何千人のうちのたった一人、さらに努力した人のうちただ一人の人間が真実を知るであろうといいました。それ程にこの知識を理解し、実感することは稀であり、しっかりした心の準備が必要であると言われます。

また単に真実を知ることでは、深い理解になりません。知ることは、自分以外の物事を単に知るだけの “間接の理解” に終わってしまうこともあるからです。「イーシュヴァラ(全体世界)」を自分と離れた存在、 “全知全能の祈りの対象物” であると、考えているうちは
「イーシュヴァラ(全体世界)」に対する知識は自分にとって “間接の知識” でしかありません。このままでは自分自身のこととして理解する域には達していないのです。
理解をもう一歩深め、「イーシュヴァラ(全体世界)」が自分自身である、という真実が自分自身のこととして理解されるとき、『ヴェーダーンタ(聖典の最終章)』のいう知識はまさに自分自身の “直接の知識” となります。人はその知識によって “個人” の自我意識から解放され、自由である自分自身を知ります。

この章でクリシュナは全体世界について教えました。
「イーシュヴァラ(全体世界)」はすべての創造の原因であり要素であり、この世界こそが「イーシュヴァラ(全体世界)」の現れた姿であるといいます。色とりどりの宝石の玉が一本の糸に繋がれている首飾りのように、形や名前の違う世界のすべてを繋いでいる一つの真実が「イーシュヴァラ(全体世界)」です。

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