【プログラム】
ブラームス: ハイドンの主題による変奏曲 Op.56a
モーツァルト: ピアノ協奏曲 第22番 変ホ長調 K.482
エルガー: エニグマ変奏曲 Op.36
(アンコール)
サティ:グノシェンヌ第1番
アンヌ・ケフェレック(ピアノ)
尾高 忠明(指揮)
札幌交響楽団(管弦楽)
2019年4月27日(土),14:00開演,札幌コンサートホール
先週末の演奏会が,2019/2020シーズンの札響定期の幕開け。首席指揮者のマティアス・バーメルトが用意した今シーズンのテーマが,”What composers do to other composers.”(「作曲家が作曲家に出会うとき…何を感じ,何を与えたのだろう。」)。それに対する各指揮者の回答をプログラムの中に少なくとも1曲は選ぶという趣向が凝らされている。今回,タクトを執る尾高忠明の答えは「変奏」。ハイドンのテーマとブラームスの8つの変奏およびエルガー自身によるテーマと14の変奏が,バーメルトの問いに対する尾高忠明の回答。
しかし,2曲の変奏曲よりも強く印象に残ったのはアンヌ・ケフェレックが弾くモーツァルトのピアノ協奏曲第22番。比較的馴染みの薄いこの作品そのものよりケフェレックのピアノ独奏に驚いた。アンヌ・ケフェレックはパリ国立高等音楽院を首席で卒業後,ウィーンでパウル・パドゥラ=スコダ,イェルク・デムス,アルフレッド・ブレンデル,ウィーン三羽がらすに師事する。1984年制作の映画「アマデウス」ではピアノ協奏曲の演奏でネヴィル・マリナーと共演。彼女のことは,この演奏会で聴くまで名前すら知らなかった。
こう書くと独墺系のピアニズムに大きな影響を受けたフランスのピアニストという印象を持つ方がおられるかもしれない。しかし,彼女のステージを聴いた印象はその正反対。ピアノは情緒的な要素を排した明るく軽快な乾いた音色。最後までインテンポを守り通した端正なピアノ・ソロ。しかし,メカニカルな演奏の対極にあるエスプリに裏付けされた演奏だ。おそらくエスプリで聴衆を魅了するタイプのピアニストと言い切っていいように思う。独墺系のピアニストのような感情移入は極力控えたピアノ・ソロ。それでいながら,モーツァルトのピアノ・コンチェルトはこう弾くという自己主張,強烈なエスプリを感じる。最良のフランスのピアニズムを体現したモーツァルトのピアノ・コンチェルトを聴くことができた。あまり有名ではない第22番のピアノ協奏曲を弾いて,モーツアルトを堪能させる精神にも共感を覚える。
ブラームスの「ハイドン変奏曲」は,第1曲目ということもあってか,冒険を避けたような演奏。この作品の主役は木管群のはずだが,木管のソロはいずれも抑え気味で拍子抜けする。弦楽器群からもより艶のある音色を引き出した欲しかった。ブラームスの甘美な歌を聴きたかった。なにやら旨味成分が溶け出してしまったスルメを口に含んでいるような味気なさ。ウィーンの後期ドイツ・ロマン派らしい妖艶さが足りない。
もうひとつの変奏曲「エニグマ変奏曲」は,エルガー自身の手になる主題と14の変奏で構成され,各変奏には人物を表すイニシャルが付けられており,それが「エニグマ(謎)」の由来だとか。なかでも第9変奏の”Nimrod”は単独でもよく演奏される。イギリス音楽,とりわけエルガーの演奏を得意とする尾高忠明と札響のコンビは,この変奏曲を変幻自在に演奏する。ブラームスの「ハイドン変奏曲」とモーツァルトのピアノ協奏曲第22番が楷書体の演奏だとすれば,この「エニグマ変奏曲」は確信に満ちた草書体の演奏。指揮者が即興でどのように振ろうとも,オーケストラはゆとりをもって付いて行ける,そんな自身と信頼に裏打ちされた,安定感のある演奏である。最後の第14変奏などは,変奏曲のフィナーレという枠組みをはみ出したかのようなシンフォニックな演奏に少々驚く。
正直なところ,個人的にイギリス音楽が苦手なので,「エニグマ変奏曲」の演奏から深い感銘を受けることはなかった。楽しい作品なのだろうと想像はするものの,心から楽しんだとは言い難い。実際はどうなのか分からないが,イギリスの食事が美味しくないのと同様,イギリスの音楽もあまり面白くないというのが,この曲を聴いた本音だ。札響の4月定期の白眉は,個人的には変奏ではなくモーツァルトのピアノ協奏曲だった。
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