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2019年04月20日11:01

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「天真療法」案内57

前回は帝大主席の秀才医師が、結核を始めリウマチ、三叉神経痛、肝臓硬化症、脚気などを併発して満身病気となりましたが、春充と出会い「天真療法」のアドバイスをもらった話を見てきました。
その時春充は、次のようなアドバイスをしました。
なるべく絶対的、心身の安静を守るのに努めること、所謂滋養物を避け、玄米のお粥を軽く一杯と、新鮮な野菜少量よく熟した清潔な果実、清純な生水、薬物を廃める。タッタ其(そ)れ丈(だ)けのことの、厳正励行なのだ。(天真療法 P.208)
ここには、これまで見てきました「天真療法」の三大要件「安静」、「食養」、「排泄」がことごとく含まれています。「なるべく絶対的、心身の安静を守るのに努めること」、「薬物を廃める」は、「安静」、「玄米のお粥を軽く一杯と、新鮮な野菜少量よく熟した清潔な果実、清純な生水」は、「食養」と「排泄」にあたります。そして、この実行について春充は次のように解説します。
だが然(しか)し、其(そ)の実行、其(そ)の実行の継続は、容易ならんことなんだ。熱があっても、解熱剤を用いない。食欲がなくても、健胃剤を用いない。痛みが来ても、麻酔剤を遣(や)らない。其(そ)の上、痩せ衰えて居(い)るのに、牛乳も卵も、ソップも廃(や)めて仕舞(しま)う。而(しか)も死を以(もっ)て、必ず其(そ)れを守り、斃(たお)るるとも、其(そ)の方針を以(もっ)て、貫(つらぬ)いて行くとの決心と、実践に至っては、涙なしに聞くことは出来ない。これが無智な迷信家のやる事ならば、別に怪しむにも足らないけれども、最高学府を出(い)でて、而(しか)も医学専攻の秀才なんだ。よく納得して呉(く)れたものだ。よく実行して呉(く)れたものだと、私は其(そ)の見事なる勝利の成果を見て、感涙を催(もよお)さざるを得なかった。(天真療法 P.208)
その結果は次の通りです。
其(そ)れから彼は、メキメキと良い方向に向かった。半歳にして床の上に座るようになった。一ヶ年ならずして、全く床から離れるようになった。二年したら家の廻りを散歩して、
三年目からは、一寸(ちょっと)した小山位へは、登るようになった。右肺は、スッカリ空洞になり、左肺も可(か)なり、侵(おか)されて仕舞ったけれども、一寸(ちょっと)見た処(ところ)では、何処(どこ)にも病気などない様な風貌となった。普通の目から見たならば、まさにあり得(う)べからざる一大奇跡である。だが、其(そ)れは―何も、チットも、不思議なことではないのだ。ありフレた天理に順(したが)い、自然の道を辿(たど)ったのに、過ぎぬのだ。(天真療法 P.208)
こうして「天真療法」によって、健康を取り戻した彼は、みずから実践、体験した「天真療法」をメインとする医院を開業します。春充は、その様子を次のように記しています。
彼は間もなく、自宅開業を始めたけれども、其(そ)の療法は、華々(はなばな)しい処(ところ)か、薬も呉(く)れない。滋養物も摂(と)らせない。安静の守り方だの、玄米食だの、生水を飲めなどと云(い)うので、殆(ほとん)ど誰れ1人として、相手にする者もなく、それこそ門前雀羅(もんぜんじゃくら)を張る(門の前には雀が群遊び、網をはって捕まえられるほど人がいない様)に至った。
主席卒業の栄冠を飾り、堂々たる病院を造り、最新の医療機械を据(そな)え付(つ)けて、開業した時には、押すな押すなの盛況に、付近医院の大驚異となった位であるそうだが、安全な天理による療法を勧めるようになったら、患者の足は、パッタリと止まって、掃き清められた応接間には、一種陰気な霧が、閉じ籠(こも)って居(い)るかのような感じさへもされた。(天真療法 P.208〜209)
こうして、医院は失敗となりましたが、幸い他に定収入を得る仕事をしていたようで、それで旅行と読書を唯一の楽しみとして細々と生活をしていたそうです。ところが、その趣味の旅行中に崖から転落して、あえなく59歳の生涯を閉じてしまいます。この彼の医業と、死に対して春充は次のように感想を漏らします。
アア天道は是か、非かの嗟嘆(さたん)なきを得ない。(中略)彼の賛同と、彼の実践と、そうして彼が得た実験の結果とは、天真療法に対する、私の所信をして、一層牢乎(ろうこ)なるものたらしめた。其(そ)れによって、私をして今、この筆を執(と)り、世の多くの病弱な方々に向かって、病気を癒(なお)す力は各人の衷(うち)にあり、其(そ)の威力を振(ふる)わしうるのには、別に何等(なんら)医薬を要せず、神人を要せず、金銭を要せず、確信と忍耐とを以(もっ)てすれば、何人でも、簡単に自ら癒(なお)すと云(い)う真理を、宣明(せんめい)せしむるの原動力となった。(天真療法 P.209〜210)
このように、その名も伝わっていない一人の医師による、「天真療法」の実践とその死は、著書『天真療法』執筆の大きなきっかけと力を春充に与えたのです。
(写真は、桂川と富士山)
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