mixiユーザー(id:25773567)

2019年04月14日23:08

224 view

非常線の女

金曜日、スミソニアンのアジア美術館、フリーアーギャラリーで小津のサイレント映画、「非常線の女」を観てきたの。

小津の失敗作とか、戦後の小津の確立されたスタイルと違う、とかいろいろ言われてて、レビューとかもいろいろ。これの前に「生まれてはみたけれど」でキネ旬一位を取ったので、当時も「才能の無駄遣い」とか言われたらしい。終わった後、若い子が、「他の小津の映画と凄く違ってぇ〜」ってなんか不満げに言ってて。

しかし!アタシには大満足だった。戦後の小津でお馴染み、シーンとシーンを繋ぐ時につかうpillow shotsがところどころにあって、それがすっごいおしゃれ!「生まれてはみたけれど」では気づかなかったけど、これではふんだんに使われてて、「そうか、小津はこうやってスタイルを確立していったのか」とか思わせる。

そして、見てて一番印象に残る感想が、「これ、ドイツ表現主義ですか?」っての。大抵の人は、この映画を「ハリウッド好きな小津が作ったハリウッドを真似したフィルムノワール」だとか、「アメリカギャング映画のパロディー」とか言ってるけど、違うと思うわ。これ、元はFritz LangやMurnauのドイツ表現主義よ、って思った。勿論、それがアメリカに渡って、ハリウッドの映画に影響を及ぼしたのだから、一時元的にはハリウッドを真似てる、って思うかもしれないけど。Pillow shotsに、ボクシングの吊り輪やサンドバッグの影だけを使うとか、まるでドイツ表現主義。

そして、キュビズムの影響?小津の映画は幾何学模様が多いけど、あれも1920年代のヨーロッパ美術の影響よね。ということで、小津の映画を20世紀初頭の芸術の運動、ドイツ表現主義とキュビズムの二つの観点からみると、すっごく納得がいった。そして、後世の評論家が小津の映画を評して、「日本的なものを通して普遍的なものを描く」とかなんとか言ってるけど、違うわ、って今なら言える。小津の映画は1910~1920年代のヨーロッパの芸術運動を取り入れてそれを自分の中で消化していって、ああいうスタイルになったのだと思う。これって映画の論文にならない?

そして、もひとつ面白かったのが、バックグラウンドに出てくるのが殆ど英語。ショーウインドーや貼ってあるボクシングのポスター、会社のオフィスのドア(田中絹代が勤める会社の社長の息子のいるドアにはPrivateとか書いてあって)。部屋に貼ってある映画のポスターはフランス語だったけど。日本語で書いてあってPillow shotsで特異なのが、「クラブ歯磨」の電光看板だけ。これを「バタ臭い」とか「ハイカラ好み」とか評す人もいるけど、あれも表現主義の流れだと思うわ。

この映画、存在だけは知られてたけど、フィルムがバラバラで、復興されたのは1980年代に入ってから。DVDで出たのは、2003年小津の生誕100年を記念して松竹から、みたいね。で、YouTubeで全編見られる。



今、うpするので見てみたら、題字のところのバックグラウンド、まるでカディンスキーかミロでしょ?これも20世紀ヨーロッパの芸術運動の取り入れウインク

7 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年04月>
日 月 火 水 木 金 土
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    

最近の日記

もっと見る