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2019年04月08日23:08

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落合イチロー

■イチローさん、愛知県民栄誉賞も辞退 チチロー意向伝達
(朝日新聞デジタル - 04月08日 12:38)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5572225

イチロー引退のニュースから結構経った。だいぶ客観的にみれるようにはなったので、いろいろとコメントする。
国民栄誉賞も愛知県民栄誉賞もどちらも辞退ってイチローらしいっちゃらしいな。今更それを辞退するも受けるも、イチローの自由だし、どんな思惑があるかなんて、この野球の神の頭の中、誰もわかるはずがない。そこまでの高みへいかなければ、誰も語ることはできない。
僕は、「最低50歳までやる」という言葉を信じていた。
誰しもが訪れる、アスリートの衰えというものがあると思うが、当然、メジャーリーグの世界で、結果を残すことは難儀になってくる。それに、若手の新陳代謝や球団経営の意図を汲めば、「最低50歳までやる」というのは、仮に結果が残せたとしても難しいことだ。
なので、ボロボロになってメジャーでは通用しなくなっても、ウェルカム体制でいる日本球界への復帰もありえただろうし、さらに言うなれば、BCリーグなどの独立リーグでやっている姿も想像した。そこまで落ちても、「あ、イチロー、こんなとこで野球やってたんだ・・」っていうその姿こそがカッコイイ。
たかだか45歳である。
45歳以上で現役を続けた選手は、メジャーリーグで、ではないもののそこそこいる。野手と投手では違いがあるにせよ、山本昌は50歳まで現役を続けた。昔では、野村、落合は46歳までやっている。彼らも文字通りボロボロになるまで続け、「契約してくれる球団がどこにもない」状態になって初めて辞めている。
僕は、そこまでやり続けるイチローこそがカッコイイと思っていた。
だから、マリナーズに気を使われ日本での開幕戦をやってもらったことで、実質引退してしまったことが残念でならない。

僕は、2歳年下のイチローを見続けて、26年になる。
オリックス2軍時代はその存在をしらなかったものの、94年に年間210安打のプロ野球記録(当時)を引っさげて鮮烈なデビューをした時から、この只者ではない新人がずっと気になり、最終的には日米通算の世界記録を始め、メジャー年間安打記録、10年連続200安打、メジャー通算3000本安打、その全ての記録をタイムリーでみている。僕らの世代は、イチローをタイムリーでみていた世代として、次世代に自慢できることだろう。
イチローをみている時に、僕は常に、ある選手と比較してみていることに気がついたのは、割と最近である。
落合博満である。
落合は、選手としてもそうだが、野球人として総合的に物凄い存在なのであるが、3度の三冠王を初めとした、選手、監督としての実績はもはや説明する必要はないだろう。
イチローが、日本球界を代表するリーディング・ヒッターになった98年、落合はひっそりと引退した。当時46歳である。最後は日本ハムに在籍し、たいした成績を残せずに、引退試合もなくハデな会見もなく、淡々と辞めていった。辞めたときの記者会見では「引退というより退団。どこも契約してくれる球団がないから辞める」という独特の表現をした。
その数年後、イチローは日本人初の野手としてメジャーリーグデビューを果たし、その後の活躍はもはや説明不要だろう。
そして、イチローは、落合とほぼ同年齢の45歳にして、日本中から惜しまれながら引退した。政府はその功績を称え、3度目の国民栄誉賞を贈呈しようとしたが3度目も辞退。
ああ、時は流れたんだなあと思う。
僕の少年時代〜青年時代が、落合の時代であり、青年時代〜壮年時代がイチローとともにあった。
いずれも、その引退にはひとかたならぬ寂しさがある。

で、この2人、メジャーリーグと日本球界の違いこそあれ、残した実績は、並み居る歴代のプロ野球名選手のなかでトップクラスなのだが、タイプが全然違うのだ。
イチローは、とにかく求道者であった。
チームが優勝するために求められるものが何であれ、ヒットを量産し続ける。それが勝利に繋がるか繋がらないかは関係なく、詰まらせられようがボテボテのゴロだろうが、ヒットを生み出すことがイチローが追い求めたことだった。
その量産されるだけの単打に価値がない、チームの勝利に結びつかない、と大衆やメディアが騒ぎ立てようが、球団やチームメイトが非難しようが、イチローはイチローの信念を貫き、ヒットを打つという自身の美学を貫いた。
その淡々と積み上げられたヒットの数が世界記録を超えた頃、周囲から雑音が消え、イチローは野球の神となる。
引退会見の時に言っていた「日々の積み重ねでしか自分を超えることができない」というのは、実に重みがありイチローほどその言葉に説得力がある人はいないだろう。
つまり、イチローには「職業としての、生計を立てる手段としての野球」というものがまるでなく、「自分のやりたいことを貫き通すための野球」だったのだ。やはり「道を究めるために野球があった」というべきであろうか。
それに対して、落合博満は、常に「職業として、生計を立てる手段としての野球」が全面にあった。
そのため、シーズンオフになってからの契約更改で年俸について毎年のごとくモメでいたし、本人も、お金のために野球をやっている、成績を残せばお金をもらえるのは当然だ、というのを堂々公言していた。
そのため、タイトルを獲ることに非常にこだわりがあり、たとえ数字はショボくとも、同一リーグのなかで一番の数字であればタイトルホルダーだ、という理由から、常に相対的にどれだけの結果を残せばよいかを考えている。
ロッテ時代など、狭い川崎球場であることを最大限に利用し、川崎球場のライト際、レフト際ギリギリに届く打球をあげてホームランにするなど、その条件の中で何が最も良いかを相対的に考えてプレーしていたように思う。
イチローが、他の選手に関係なく己の信念を極めるという意味で絶対的なものを求めていたのとは対照的である。
どっちが良いか、というのは僕は断じることはもちろんできないのだが、社会で成功するための手本としては、落合のほうが学ぶべきところがたくさんあると思う。
世間ではオレ流と呼ばれている、落合流というのは、決してエゴイスティックな自分勝手流儀ではない。デキの悪い人間が、「自分の特性は何か」を考え抜き、出来ないことを捨てて出来ることを最大限に生かすという流儀で、その流儀は中日監督時代に数々の職人的な名選手を育てたことでも証明されよう。
そして、少しでも良い結果をだし、1円でも多く稼ぐ、生活に根付いたドロ臭い知恵ではある。
私たちは皆、イチローになれるわけではない。イチローこそが自分勝手な流儀を貫き通し、そして世界記録まで到達した求道者であるが、殆どの人は、求道者になるほどの能力はなく、その限られた能力のなかで、何をやるべきか、何をやればクビにならずに使ってもらえるのか、何をやれば給料があがるのか、といったもっとドロ臭い世界に生きているのである。

イチローは、メジャーリーグという、アメリカの世界最大といわれている舞台で、自分流儀を貫くことで、世界記録を打ちたて私たちに夢をみさせてくれた。
日本人初の、そしてこれからも出てこないであろうメジャーリーグの野球殿堂へ入るのはもはや確実だろう。
その淡々と打ち続けてきたヒットの積み重ねにより、私たちはどれほどその夢に酔いしれたことか・・
しかし、イチローが引退したことによって、ハっと夢から覚めたのである。夢の舞台はいつのまにか終焉を迎えていた。
そんなときに、再び、落合博満の流儀をみなおしてみる。
何億に1人の才能の持ち主はいないものの、自分の持てる技を磨き、自分のいる日本球界でシノギを削りながら1年でも長く生き残るためにドロ臭く努力している選手がいっぱいいる。
ハデな夢はみれないが、そこにこそプロ野球選手の生き様が転がっていたりするのである。
さあ夢は終わった。
幻想のメジャーリーグばかりに固執せず、もう一度、日本のプロ野球の面白さを見直してみよう。

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