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2019年03月26日00:26

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仰げば尊し

長男の小学校の卒業式に出た。
早いもので、つい最近入学したと思ったら、もう卒業。なかなかに立派に成長している長男の姿に感慨深いものがあった。
それはそれとして。
昨今の卒業式って「仰げば尊し」を歌わなくなったのねえ・・
卒業式の定番として、国歌斉唱、卒業証書授与、送辞、答辞などがあり、最後は「仰げば尊し」で、感情が高ぶって泣けてくるんだけど、最後の全体合唱が、なんかよくわかんないJポップの歌だったのがガッカリ。そこで思わずコケてしまったというか、歌に横文字で「アイビリーブ」なんて入っていると、もはやギャグにしか思えない。
やはりねえ、、「仰げば尊し」ですよ。歌もメロディも素晴らしいし、もうそれだけで泣けちゃう。
卒業式でもなんでもそうだが、定番ってあるじゃないですか。それによって、感情が入るっていうのか、昔からある卒業式の定番を、キチっとやることによって「あー息子も卒業しちゃうんだなー」って、しみじみと感傷的な気分のスイッチが入る。
それが「アイビリーブ」だと、何か台無し・・
「仰げば尊し」の歌詞を改めてみてみる。

仰げば尊し わが師の恩
教えの庭にも はや幾年
思えば いと疾し この年月
今こそ別れめ いざさらば

互いに 睦し 日頃の恩
別れるる後にも やよ忘るな
身を立て 名をあげ やよ励めよ
今こそ別れめ いざさらば

朝夕慣れにし 学びの窓
蛍の灯火 積む白雪
忘るる間ぞなき ゆく年月
今こそ別れめ いざさらば

歌詞としては、申し分なく素晴らしいと思う。
とにかく、文語調の日本語であることで歌詞が引き締まっているし、子供の頃は意味なんかわからないが大人になって改めてみてみると、師への恩と、これから自立し社会で頑張っていくという決意とが歌われている。
特に、二番の「身を立て 名をあげ やよ励めよ」なんか実に良いではないか。師への恩に報いるのは、身を立て名をあげること。そうなるように頑張っていきまっせ、先生、という心温まる師弟愛が感じられる。
もはや現代の学校教育には、こういった心が失われているといえど、歌として歌うことで、心にはしっかり刻まれるものだ。
僕は、自分の小学校の卒業式で、この歌を歌ったのだが、意味こそ理解していなかったものの、妙にジーンとした記憶がある。男の子は卒業式では通常泣かないものだが、この歌の時だけは、何故か涙腺が緩んだ。
同年代というか、「仰げば尊し」をまだ歌っていた世代と話をしても、例外なく、この歌は泣けるという。前奏を聴いただけで涙腺が緩むという人が多い。
これほど心に残る名曲であり、明治時代より100年以上も卒業式の定番で歌われていた歌が、何故最近では歌われなくなったのだろう?

ネットで調べたら、あるブログでは理由は諸説あるとのこと。その理由があまりに馬鹿馬鹿しくて話にならないんだが、かなり腹立たしいのであげておく。

1.歌詞が教師への賛美であり、民主主義にそぐわないこと
教師へ恩を感じるということが、教師賛美?論理飛躍もいいところだが、百歩譲って教師賛美だとしても、学校を卒業する生徒たちが教師を賛美することの何がいけないんだろうか?
そもそも、民主主義にそぐわないってなんだ?
教師と生徒は対等だから、生徒が教師に「感謝しています、ありがとうございました」というのはおかしい、というのか?
これから社会に出て、仕事の師と仰ぐべき人物にも、民主主義だから対等の立場であるので、何か教えを受けても感謝する必要もないし、恩を感じる必要もない、というのだろうか・
そうしたら、およそ礼儀知らずで、かつ仕事の技術も身につかない人間を学校は作り出そうというのだろうか?全くをもって意味わからん・・

2.「身を立て 名をあげ」が立身出世を肯定している
僕が一番感動する箇所なんだが、立身出世の肯定の何が悪いんだ?
社会に出て立身出世を志さずに、何を目標に生きていくというのだ?
恐らく、どっかのバカが、他人を押しのけ、金と名誉欲にがめつく生きる=「立身出世」という捉え方をしたんだろうが、志高き社会人になっていくという意味で捉えることは出来なかったんだろうか?
ちなみに、「仰げば尊し」が生まれた頃の明治中期頃の立身出世の概念は、主に福沢諭吉の思想から来ていると思う。
福沢諭吉は、「学問ノススメ」等で、「一身独立、一国独立」ということを言っている。国も個人も、早く独立し、その後は、他人の独立を助けていくこと。これをこんな言葉で集約している。
「心事高尚ならざれば、働きもまた高尚なるを得ざるなり」
高尚な心を持てば、高尚な働きもが出来るということ。
当時は、列強に対抗すべく、富国強兵の必要があり、そのために個人が早く独立し高尚な人間になっていくことが急務だった時代ではあるが、この考え方は、どの時代にも当てはまるのではないだろうか。
教育は、高尚な人間を育てるを是とする。
誰しも平等にそこまでの能力はないというのは当然のことだが、高尚な人間を育て、国や社会の人間を育てていくことを目標とする教育のどこが悪いのだろう。

とまあ、アホ極まりないどっかの日教組がこういうことを言い出しているのは想像に難くないんで、もう反論するのもバカバカしいのだが、
「仰げば尊し」は、やはり人々の感情に大きく訴える歌であり、だから100年以上の長きにわたり、卒業ソングの定番でいたことだろう。
あんなちっちゃかった息子が、息子の学友が、「仰げば尊し」を合唱したら、そりゃー泣けただろうなあ。
やはり定番て大事だよ。
最初の国歌斉唱(これはさすがにやった)もそうだけど、起立して「君が代」を歌うことで、いよいよ式が始まるんだ、という緊張感も大事だし、その緊張感の中で、式典が粛々と行われ、そろそろ、という時に「仰げば尊し」で締める。ついでに、卒業生退場は、「蛍の光」で見送る。
いわばこれらは祝詞のようなもんだ。
祝詞だって、意味はよくわかんないけど、神主が祝詞を読み上げることで、厳かな気分になる。あれを、現代の言葉で言われてたら軽々しくてありがたみも何もない。
古い言葉の持つ魔力みたいのがあると思う。
「仰げば尊し」の魔力は、その最たるものじゃないか?
昨今流行なのか、そういう時に歌われるJポップの歌を聴くと、その言葉はなんて軽いんだろう・・っていうのがよくわかる。
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