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2019年03月22日00:25

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洒脱を愛したオヤジ〜永井荷風

漱石を読んで、近代文学に若干興味がわいてきたので、次は
永井荷風『墨東綺譚』
を読んでみた。
こちらは、昭和初期(12年)の作品で、漱石よりやや時代が下る。
永井荷風は、明治40年頃に文壇デビューしており、漱石とはわずかに時代が一致するのだが、なにせ長生きしたものだから、昭和まで作品は残していて、後世の評価だと、この『墨東綺譚』が最高傑作だとか。
まあ、一言で言ってしまえば、小説としてはあまり面白くなかったかな・・
何というか、構想がちょっと粗い感じがして、僕などは何が言いたいのかよくわからんというのが率直な感想。
まあしかし、昭和初期の東京下町の景観や文化が描かれているところは、読み応えがあったし、永井荷風自体が、下町の路地を散策して描いたらしいので、細かいところまでの描写で、当時の様子が想像できて面白かった。

舞台は、現在の向島界隈。当時は玉の井といったそうだ。浅草あたりから、向島まで主人公がよく散歩をするので、そこら辺の風景を現在の風景と比較しながら読むと大変面白い。
昭和初期くらいには、ほぼ今と同じような街並みが出来上がっている。
違うのは、恐らく道路はまだ土の道路がメインであったろうし、市電が走っていること。ドブ溝なんかが、むき出しになっていること。河川の水質汚染はすでに始まっていたろうが、おそらく現在とは比較にならないほど綺麗だったことが想像される。
当時、向島(玉の井)には、私娼窟があって、そこを散策していた主人公が、ひょんなことから娼婦を生業とするお雪という女と出会うことからはじまる。その出会い方も、「ねーよ!そんなシチュエーション!」て突っ込みたくなるような出会い方なのだが、それについて永井荷風も「いや本当なんだってば」って言い訳しているのが妙におかしかった。描きながら、「こりゃーさすがに不自然だよな・・」って思っていたんだろうな。。
主人公は、独身で初老の作家。お雪に恋心を持ち、チョコチョコお雪のもとに通うも、自身の恋心はとりあえず殺しておいて、一定の距離を保ちながらの付き合いが続く。
お互いに、その素性は肝腎な部分は隠しつつ虚構の恋愛関係を続けながら、大きな展開もなく物語は続く。そんで、ある日突然、お雪は病気になり玉の井の住居から姿を消す。
それと同時に、主人公も、お雪の存在にけじめをつけ、そのまま玉の井に行くことをやめてしまう。2人の関係はそれでフェードアウト。
なんとも、現代的な乾いた関係で、カラっと終わってしまうところが良い。
そのネチネチと引きずらないで、「まーそんなこともありましたわ」みたいな終わり方が何か粋な感じがする。
多分、この主人公は永井荷風本人をそのまま描いたと思われ、いわば私小説になるんだろうが、永井荷風は、若かりし頃より、落語や芝居に傾倒したり、芸者小屋に入り浸り、実際に芸妓と付き合ったりして、遊び人だったようだ。
ここら辺が、生真面目な経歴を持つ漱石や鴎外とは一風違うのだが、やはり、経歴をみると金持ちの家に生まれ育ち、それなりに高等教育も受けているインテリで、当時の文学っていうのは、インテリのものだったんだなあ、と改めて思う。
永井荷風の場合、どちらかというと、教養主義よりも、頽廃文化が好きみたいで、現代でいうと、例えば阿佐田哲也なんかに近いのかもしれない。あそこまで無頼派ではないのは、お育ちのよさなんだろう。
そのため、『墨東綺譚』の主人公は、遊び人の美学みたいのを全面に押し出している。決して己の欲望によって破滅することもなく、「それもひとつのエピソード」みたいは割り切った生き方というのか。そういうところは、僕も結構共感するところで、当時流行の(?)恋愛感情高じて、散々暴れまくった挙句キチガイになって自殺しちゃうような、読んでて腹立たしさしか残らない小説よりも断然好きだ。
ただ、最初にも言った通り、小説として面白いかというとイマイチで、『墨東綺譚』の主人公は作家なのだが、作品の構想を練る目的もあり、お雪の元へ通う意味合いもあったのだが、そのうち、永井荷風自身の体験談なのか、主人公の物語なのかがよくわからなくなってくる。
一度、お雪にひっそり別れを決意するという半端なところで終わらせておいて、その続きが主人公の回想録の体裁を取っているんだが、永井荷風の随筆っぽくなっていて、結局、作品をどこに持って行きたいのか途中からよくわかんなくなる。
どうも、構成に失敗した小説って感じがする。現代なら差し詰め、素人がネットに投稿するような行き先不明の結論がよくわかんない小説っぽくもある。
まあそういう意味でいうと、近代の作品ていうのは、結構荒かったのかもしれないね。
というより、永井荷風は、江戸時代の戯作文学に傾倒していた節もあるので、意図的に戯作文学っぽい内容にしたのかもしれない。江戸戯作文学もまた、ちょっと荒っぽいというか、とりあえず大衆の娯楽として読まれれりゃいいや、みたいなところがあるので、構成もしっかりしていなけりゃ、内容も矛盾だらけ、主旨もなんだかよくわかんないっていうのが多いから。戯作文学調に仕上げましたって言われると何となく納得が行く。

んでまあ、悪い癖で、永井荷風についても、その後、ググったりして調べたのだが、どうも荷風は、昭和初期という時代が古きよき文化が薄汚れてしまったと思っていて、あまり好きじゃなかったようだ。
『墨東綺譚』で、荷風のそこら辺の趣向がチョコチョコ出てくるんだが、関東大震災以前と以後で文化がガラっと変わったというのが描かれていたのが面白かった。
漱石などは、明治時代に既に、美しい日本文化が既に廃れてしまったという嘆きがみてとれるが、荷風は、明治期、というか関東大震災前までは、まだ古きよき文化の時代だったと思っている風がある。ここら辺は世代ギャップなのかもしれない。僕のような、平成を生きた人からみりゃ、昭和初期も、大正も明治もさして変わらない気がするんだが、あの時代はあの時代で、明治の頃はよかった、大正の頃時代がダメになった、なんていうのが既にあったというのが面白い。まあいつの時代も、「今時の若い者は・・」ということなんだろうな。
荷風によれば、昭和に入ってのデカダンスの進行は加速していて、もう文化は取り返しのつかないところまで落ちぶれたとのこと。
昭和初期って、226事件があったり、治安維持法があったり、血盟団などの怪しい社会運動団体があまた出現したりと、僕らの時代からみるとかなり激動だと思っていた。だが、荷風たち、当時の東京下町でプラプラしていた連中って、今は歴史でご大層に祭り上げられている政治事件なども、たいした興味がなく、「政府がバカやってら」とか「アホな団体が増えたな」くらいにしか思っていない。市井のレベルからすると随分暢気な時代だったんだろうね。
当時、小学校の女教師が、業務後、カフェーに出入りして、売春みたいなことやってたっていう事件が新聞に載り、『墨東綺譚』の主人公が世の中の落ちぶれようを嘆くところがあるんだが、そういうのって昭和初期くらいから既にいたんだって、妙に感慨深かった。
現代だと裏で援助交際みたいなことやっている女教師ってところだろうが、今も昔も、そのての人間はいて、人間のやることってたいして変わらないのかもしれない。
明治大正あたりを調べれば、そのての事件て結構みつかると思う。
荷風が懐古的浪漫主義に陥った気持ちもわからなくもないが、昔だからって、全てが耽美的な世界だとは思えない。
まあしかし、荷風は、生まれも育ちも東京下町ってこともあり、何となく粋な美学を持っていたんだろうな。なんというか、変に気取らずカッコつけず、教養も身につけているけど頽廃文化にも浸かっているといったような、そういう洒脱な人であろうとした。
意外と、小説も、どっかの三文小説みたいな、ちょっとしたショボさを残すような形式で描いているのもワザとかもしれないなんて思えてきた。
好きか嫌いかといえば、僕は好きな部類かな。

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