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2019年03月15日00:28

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ここがヘンだよ!漱石さん

夏目漱石は、ほとんど読んだことがない。
子供の頃は『吾輩は猫である』を読み数ページで挫折、高校の頃『こころ』を教科書にて一部読み、大学の頃は近代文学の授業で『夢十夜』という短編を読んだきりだった。
どうも、漱石というのは堅苦しい面白くない小説だ、という意識が定着してしまって、大学のときに読んだ『夢十夜』は結構面白いと思ったものの、人生において、頭から敬遠していた。
そも、僕は結構な読書子であることは自負していて、常にひっきりなしに本を読んでいるんだが、明治大正のいわゆる近代文学というのは絶対面白くないと思って殆ど読んでいない。
小説だけで比較するならば、現代のほうが格段に面白い作品はあるし、もっと読者にもわかりやすく、テーマに関する情報も当時とは桁違いにあるので、1つの作品の奥行きも当時とは格段に差があるもんだと思っている。
森鴎外だの国木田独歩だのを読んでもちっとも面白くなく斜め読みしてしまっていた。
しいて言えば、芥川龍之介のように古典の題材を焼きなおす作品のほうが圧倒的に面白く、日本の文学なるは、中世以前に確立されてしまっているのでは、と思う。
で、数日前に、本棚の整理をしていたら、昔実家から持ってきた夏目漱石の『それから』が出てきた。
そういや、漱石ってほとんど読んだことないなあ、、と思い、近代文学の大御所である漱石をひとつ批判してやるか、という気持ちで読み始めた。つまんなきゃ途中でやめればいいやくらいの気持ちで。
結果。面白くて一気に最後まで読んでしまった・・・

この『それから』という作品は、漱石三部作と呼ばれるもののちょうど真ん中の作品で、三部作とは『三四郎』『それから』『門』のことだというのは、なんとなく知っていた。
人間の内面を抉り抉った先に、何があるのかを描いた作品群で、主人公の年齢をそれぞれの作品であげていきながら、それぞれの年代の心の葛藤を描くというもの。
『それから』は、ちょうど30歳になる男の話。その主人公・代助は実家が金持ちで生活の援助をしてもらえるのをいいことに、結婚もせずニート生活を送っている。
代助は、父親が明治のご一新に乗じて一攫千金をつかみとった実業家で、代助自身東京帝国大学も出ていて、まあ当時のエリートさん。
しかし、生活のために仕事をするという現実に納得できず、あらゆる論理(まあ屁理屈なんだが)を振りまいて仕事をしない。
そのくせ、書生と下女を1人ずつ雇い、神楽坂にあるそれなりの家に住居を構えているという贅沢者。
明治後半の話なので、こういう人間は「高等遊民」と呼ばれ、上流階級の特権のような感じではあったのだろうが、現代に置き換えると絵に描いたようなニートである。こういうニートが既に明治時代に存在していたことがちょっと面白い。
で、漱石の固い文体で(内容は面白くとも文体は固いのは否めない。子供には優しくないな)、代助の心情やら日常やらが淡々と描かれていく。代助の行動範囲も非常に狭く、登場人物も10人も出てこないんじゃないかなあ、、
殆どダイナミックな展開がなく、読んでて腹立たしくなるような代助の心情がクドクド描かれていたりする。「僕が仕事をしないのは、社会が悪いんだ」とか。ウーン。現代のニートもこういうこと言うよな。
んで、僕は、漱石のことだから庶民を見下し、こういう高等遊民こそが人間らしいあり方なんだっていうオチに繋げて、エリート万歳で終わらせるのかと思っていたんだが、
最後はこの主人公が生活援助者である実家から勘当され、自身も気が狂ってしまうというオチ。
こういう生き方してると、こうなるんだよ、バーカ!と言わんばかりの徹底した堕落のさせようだったのが驚いた。
代助は、親や兄が持ってくる縁談話はことごとく断り続けるんだが、それも「世間的な意味での夫婦関係は嫌だ」という全く自分勝手な思想からで、「自然から発した情動で愛した者を妻にする」というこれまた自分勝手な妄想から、学生時代の友人の妻と姦通してしまう。
姦通した後、その友人に臆面もなく「君の妻と結婚したい。ついては早く離婚してくれ」というようなことを平然と言う。
その友人も、なかなかやるもので、その時は激昂することもなく、「わかった。その代わり君とは絶交する」と立ち去るんだが、その後、代助の父親に宛てて、長々とした手紙をしたため、そこで洗いざらい代助の蛮行をチクる。
結果、代助は掠奪して娶ろうとした女も失い、実家からも勘当され、気が狂ってしまうという三段落ちにいたるわけで、物語はここで終わるのだが、後味悪すぎ!

まあ小説の手法としては、幾分か粗いところもあるものの、何故漱石が近代文学の金字塔となりえ、現代に繋がる作家となりえたのかがちょいわかる気がする。
作品としては明治後期に朝日新聞に連載されていたそうだが、現代に置き換えても十分に通用する内容だと思う。
というか、僕などは明治の人ってもっと生真面目で、もっとエリートの差別意識が強かったんじゃないかと思っていたのだが、漱石が主人公に仮託してみつめる世間というのが、結構お間抜けな人ばかりなのだ。
一見上流階級であっても、その実は単なる成金であって維新のドサクサでアコギなことやって儲けた奴らで、不景気になると急に気が弱くなって慌てだすといったような、世間体とはウラハラの人間のマヌケで下品な部分を抉り出したりしている。
漱石自身も、帝大卒で国からの命でイギリス留学したり、高等師範学校の教師やら大学の講師やらをやっていたエリートではあるが、留学中に神経衰弱を患ったのは有名な話。
作家になったのは晩年の10年間だけで、高浜虚子の勧めでたまたま文筆を始めたそうなのだが、その後、全ての職を辞して、また教授のオファーなども固辞して職業作家に専念したそうだ。だから現代の人が殆ど知っている漱石の数々の名作は最晩年の10年で製作されたということになるが、そう考えると何だか凄い。
僕は漱石については、殆ど知らないので、憶測でしか言えないが、漱石ってきっとそういうエリートの欺瞞というか茶番とかに耐えられないタイプだったんじゃないかなあ。
たまたま金持ちの家に生まれ、たまたま優秀だったので、エリート街道に進んだってだけの話なんだけど、本当はもっと庶民側にいたかったというか、なもんで、今までのあらゆる肩書きを捨てて浮き草稼業ともいうべき職業作家の道を選んだとか。
漱石作品はその殆どが新聞連載だったそうなので、読者がいなければすぐ干されちゃうと思うんだけど、新聞のように上流から下流まであらゆる階層に読まれるメディアでずっと連載し続けていたんだから、割と庶民的感覚を突っつくセンスが凄かったのかもしれない。
実業の成功者で偉そうな奴も、高学歴の頭でっかちな理屈屋も、ひとつ皮引ん剥きゃこんなとこだよ、といったところがあり、それが単なる皮肉じゃなく、ちょっと笑える感じで描かれているところが良い。
僕が子供の頃挫折した、『吾輩は猫である』なんかは、まさに猫の視点から大人の世界を風刺しているらしいし、『それから』も高等遊民を自負するニートによって成功者たちの欺瞞が暴かれていく。だけど、決してそのニートの思想を評価することなく、理屈ばかりグチグチこねくり回す世間知らずに不幸な結末を迎えさせる。
現代において、漱石作品と類似性の高い作品は探せば結構見つかるだろうが、漱石よりも前には僕の少ない知識では思い浮かばないだけなのだが、多分なかっただろう。
だから、当時としては斬新だったのかもしれないなあ。

しかし、漱石作品は文体がちょっと固すぎる。言い回しなどが回りくどい。まあこれも明治期に入っての日本語の劇的な変化に対応しようとする努力の結果なのかもしれないが、日本語はもうちっと曖昧な表現でも何とかなるんだけどな。
ただ、文の区切りが短くて良い。書き出しから読点(。)までが短いのが、文体が堅苦しくても内容の整理はしやすいかな。

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