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2019年03月14日20:22

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いつかこんな日が無くなるように

虐待 誓約書守れないと水風呂
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5537686


最近の親は鬼畜以下だと思う。
動物だって自分の血筋を引く子供は可愛がるわよ。
虐待をする親は、自分もそうあったからと聞いたことがある。

だったら、連鎖ではなく自分で。止めなさい。

虐待には2つある。
実際に殺してしまうほどの暴力。もちろん心も壊されるが。
もう一つは、子供の心を破壊する言葉の暴力。

実をいうと、私は後から書いた言葉の暴力を両親に、特に母親から受けて育った。
それは母親や、父親の気持ちの捌け口だったから。
昔の通知表は、1〜5まで成績をクラスの割合で決めていた。
だからどんなに努力しても、みんなが同じ努力したら成績は上がらない。
中学の時が一番最低だった。
他の教科はどうにかなったけど、体育だけは【1】でした。
どんなに頑張ったつもりでも【1】から上げられることはなかったです。
中2と中3の体育の教師が最低でした。
ある日、どうしたら成績上がるのか、聞きに行きました。
『人以上に努力しなくちゃだめよ。』(意味わからん)
あまりに馬鹿馬鹿しいので、どうせ努力しても【1】努力しなくても【1】なら、その労力をほかの教科に回すほうが良いと考えました。

塾の先生に母が、受験の前に話したら…(体育の成績を)
塾の先生の一言が
『もしそれを内申書に記入したら、その教師は最低の失格教師ですよ。』

すごく救われました。
塾の先生は(塾長で、国語担当です)私にものすごく優しくて、厳しかった人です。
国語の作文とかは、もっと的確なアドバイスしてもらいました。
先生だけでした。私を認めてくれたのは。


でも、、、学期末の成績表を持ち帰る日が、怖かった。
いつも、正座させられ延々と成績を罵られる。

『お前は馬鹿だ。お母さんもお父さんも県内で一番の高校、女学校に村で毎年1人しか入れない学校に先生の推薦で受けた。
合格は当たり前。
お前は性格も、容姿も人以下だからせめて勉強ぐらいしなさい。』

母親の実家は、農業と会社員の兼業農家、さらに祖父は(私から見た)会社の指導的地位にあって、技術の向上のために東京によく言ったりしていたそうです。

でも祖父に戦争体験を聞くという宿題を出されて聞いたとき、一言だけ言ったのは。
『わしには、話す事ができない。何故なら部下の人たちを中国に行かせて、帰ってきた人はいなかった。そう先生に言いなさい。』
恵まれていた母は、兼業の農業や家のこともやらなくて済んだから、ほかの人よりも勉強できて当たり前なのです。
他の家は農業など学校から帰ったら、手伝わされていたからです。
父も似たようなものです。

私は何時も夜、家を追い出され何時間も月を見たこともあった。
物置に入れられたことも。
そして、子供なのに胃潰瘍、十二指腸潰瘍になって、吐いて自律神経失調にもなった。
学校の朝礼で倒れるようになって、初めて総合病院の小児科の先生が医学書持ち出してそう言われたときには、何も感じなかった。

ピアノを弾いて、好きな本を読んで本を買うお金も無くなったら、図書館で本を読んで、夕方に家に帰った。
両親は共働きだから、遅く帰って来ていたからあまり何も言わなかった。

いつだったか、中学生の夏休みの本の感想文に選んだ本は、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』。
母が、言った言葉は一生忘れられない。
『指定図書あるでしょ。そんなちんけな本は感想文に選ばないように。』
指定図書の中の一つ『ひとすじの道』丸岡秀子著 だったと思います。

親が買ってきました。
あまりに頭に来たので、車輪の下とひとすじの道、2つ出しました。(笑)
後日この感想文のことで、担任の先生に呼ばれました。
適当に返事したので、先生も唖然としてましたが。

小学校6年の時に手に取った文庫本は、川端康成の『雪国』。
中学生の時にはスタンダールが好きで、『パルムの僧院』『赤と黒』はいつも読んでました。
五木寛之の『朱鷺の墓』はまだ文庫本が出てなくて、単行本だから高くて買えなかった。
一週間ぐらいいつも行く本屋(古本も売ってました)で、いつも手に取っていたので、本屋のおじさんが4巻全部を2000円で売ってくれました。(ちなみに4巻は新刊でした)

本題に戻ります。
高校に入って、遠藤周作を知りました。
夢中で読んで、聖書にも触れました。

今では親をかわいそうな人だったのだと思い、それでも今の虐待のように殺されなかったのは幸運、と思いました。

私の心を今のように落ち着かせてくれたのは【許す】ということの意味を知ったからです。

そうあらねば成らなかった親の心を、許す。親を憎んでいたこの自分の心を、許す。
そして、自分の産んだ子には同じことをしない。
負の連鎖は私で断ち切る。
けして、自分が絶対に正しいのではないから、相手のことは受け入れる。
どんな人にも良いところがたくさんある。

娘には悪い人はいない、だから喧嘩をしても、次の日の朝には幼稚園や学校でその子に会ったら、「おはよう」というように。
躾は、できたかなぁ〜?
叱ることはしました。手を挙げたことはありません。
叱る行為は、段階があると思う。

手を挙げるというのは、お尻を打つことですが…最終手段です。
ここまですることは、娘に関してはありませんでした。

ごめんなさいと謝ったら、ギュッと抱きしめました。

ただし、危険性があるもの、特に命に係るものは問答無用で、パシッと手をたたきました。
これが正しいのかは判りません。
でも、ぶれない子育てはしたつもりです。

今の親は、誰も教えてないのかしら。
それもまた、その親の親の関係が悪かったのでしょうね。

それ相応の償いが、一生虐待親には付きまとうのだということ、身に染みて一生送ることがわかるようにしてほしい。

これを書いたのはただ自分の気持ちを吐露したのであって、他意はありません。
長文の付き合いありがとうございました。

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