私が22歳の時。
血と汗で稼いだお金で一括払いでゲットした愛車があった。
遠くに稼ぎに出かけるフラッグシップ愛車だった。
雨の日も風の日も、嵐の晩も雪の日も、いつかはマイカー通勤を夢見て自転車をこいで印刷会社勤めを頑張った成果だった。
納車から二か月目。
免許を取った弟が車を貸してほしいというようになった。
私もうかつだった。
昔から物を黙って借り出しては壊して返してくる弟だということを失念していた。
弟はとにかく無断で物を壊す。
聖闘士に同じ技が二度通用しないくらい常識な流れだった。
新しい暮らしに健康不安もあり、正常な判断ができていなかった転職間際の私は、そんな駄目な弟に、神棚に挙げるくらい大事な愛車を貸してしまったのだ。
大破して帰ってきた変わり果てた愛車を前に、私はケガ一つない弟の「ごめん」を聞くだけで言葉すら発せなかった。
思いっきりぶんなぐっていれば、今日の怨念は残ってなかったかもしれない。
私の病状の「自動車を見ると前に飛び出したくなる」という幻想というか妄想は、この交通事故に関してわだかまりが払拭できておらず、また連絡取れない弟への怒りと悔しさが根っこにあるような気がする。
あの日、あの時、この世のすべての怒りを込めたような拳で愛車の仇を取っていれば。
自動車を見ると、悔恨の時間と、愛車と過ごした輝かしい時間の矛盾した感覚が呼び覚まされる。
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