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2019年02月27日16:49

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キューバ、私有財産認める 憲法改正、社会主義は維持

■キューバ、私有財産認める 憲法改正、社会主義は維持
(朝日新聞デジタル - 02月26日 17:35)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5514678

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キューバの選挙管理当局は25日、24日に実施した憲法改正を問う国民投票で、約87%の賛成多数で新憲法が承認されたと発表した。ラウル・カストロ政権では、経済発展のために小規模な自営業を認めるなど一部で市場経済が導入されたが、今後は、私有財産が国民の権利として正式に認められる。共産党の一党支配や社会主義体制は維持される。

 選管当局の発表によると、投票率は約90%で、賛成が約87%、反対は約9%だった。

 新憲法では大統領職や首相職を設ける。任期を定め、政治の透明性を確保したり、権力を分散させたりする狙いとみられる。
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このニュースを聞いて、墾田永年私財法?と思った。この名前を聞くのは何十年振りだろう。もし私有財産が共産主義の終わりだとしたら、日本もずいぶんと前に社会主義を経験したのだなぁと思ったりした。

私財化は、当時の律令制を終焉させたとある。すべての土地を国有地(最終的には天皇の私有地)を個人への私有地として認める。そうしないと「由し是れ農夫の怠倦、開地は復た荒す」とある。つまり私有化を認めないとみんな勤労意欲を失い、生産性が立た下がりだということらしい。

wikipeidaしか読んでいないが、「三世一身法の施行からまだ20年しか経っておらず、3代を経過して農民の意欲が減退するという事態が本当に生じたかは疑問が残る」とあるが、ソビエト連邦の例を見れば、20年もあれば十分な気はする。あの近代設備が充実したソビエトでさえである。743年の当時の時間の流れはもっと緩やかであったろう。

歴史学者は資料を読んで、その行間、資料と資料の間の時間を補うのに想像力を使う。だから根底となるその人間性が陳腐だと、解釈も陳腐になるという業を本質的に背負っている。

その恐ろしさについて意識的な人は少ないように見える。資料を基礎としながらも、すべては主観である。それをあたかも見てきたかのように語る人のなんと多いことか。客観とは共有された主観に過ぎない。そのうえで、まるで見てきたかのようにありありと当時を思い浮かべられるようでなければ面白し歴史になどなりようがない。すべて史観に過ぎない。歴史に真実など原理的にありえない。

この勅によって土地の流動性は失われ荘園が発生する。それは貴族という階級を生み出し、平安時代への幕開けとなる。税務署には、国家の歴史とはそれすなわち租税の歴史なり、と豪語する人もいるだろう。

国家がどのような根拠で税を取るか、その根拠とそれによる国力の推移は歴史を串刺しにするときには面白い視点どころか、おそらくど真ん中の視点だと思う。

日本の租税は大化の改新あたりで完成したらしい。それは、狩猟から農耕に生産主体が推移し、長期保管が可能な穀物が集積できるようになったことと無関係ではないはずだ。

蓄積することが富になる。これがその後の歴史を決定づけたはずだ。狩猟は技術がものをいう。農耕は蓄積した量がものをいう。

こうして権力者と呼ばれる支配層が発生すれば、基本的に、公地公民制のような考えが発生する。これが租税の基本的な根拠となる。

私財法は、インセンティブによる増産を目指したものであるが、社会への影響は極めて大きくなった。日本では、これを境にして荘園が生まれ、それは、平安時代を切り開き、室町幕府の終わりまで租税の基礎として続く。

これを変革したのが豊臣秀吉の太閤検地であり、徳川幕府もこの上に基盤を気付いた。どれだけの戦力を保持しようと、それを支える租税なくて、国家は成り立たない。そして、裕福になれば、数多くの権力者が生まれる。

権力者が多発すれば、争いが起きないはずもない。租税の抜け道を探す、変える、そうやって自分に富を集中させようとする歴史がある。そして税をめぐって、多くの対立と歴史的な大転換が起きた。

人間の歴史は税制改革の歴史である。憲法を始まりであるマグナカルタも、そうである。ボストンお茶会事件も税金に関する争いだ。大切なことは全部税金への不満で噴出した。

公平な税金など存在しない。もともと、それをとる根拠がどこにもないからだ。だからもっとらしい理由をつけて税金を課す。多くの人は、理知的だから国力が衰えて混乱するよりも税金を払うことで安定した社会を得ることを選択する。

だからある程度の富裕層の発生も許容する。このあたりの舵取りが極めて国家にとって重要で、あのアメリカでさえ現在の貧富の格差は初めて体験しているはずなのだ。

その異常事態に何も気づかないのは、彼らがアメリカンドリーム(自由と知略)の結果として得た地位、富について文句をいうのはアメリカ人として相応しくないと考えているからだ。

だが、もう暫くすれば、何を言っているんだ、彼らの地位はすべて世襲ではないかと気づくだろう。世襲によって地位を得ることをアメリカの原理は否定すると思う。それはフェアではないと考えると思う。

つまり、もっとも社会主義に近いのはアメリカである。おもえばカールマルクスは、資本家たちに使われる労働者の悲惨さを救いたくて学門を進めた。その結果、見出したものが社会主義という考えである。

ノーベル経済学賞もない時代の慧眼は20世紀の壮大な実験で失敗した。それはマルクスが愚かだったので発想の瑕疵でもない。マルクスの人間観がきれいすぎただけだろう。経済的な貧富、アンフェアを看過できない。人類において誰よりも(本当?)早く警鐘を鳴らし、のみならず学問としての体系を敷き、道筋を見出そうとした。彼の失敗を誰も笑うことなどできない。

21世紀は経済の時代である。経済学の時代である。それを如実に示す一例ではないか。




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