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2019年02月04日07:30

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2019年2月4日

仕事場にはいろいろな進め方があるらしい
でも、自分自身の進め方が絶対だと思う
相手のやり方を認めるのが怖いのは
人生に迷うからで
作業所の職員と利用者で
就労移行の利用者とスタッフで差が出る
自分たちが疑問に重いこっちのほうが良いと方法を提示してもよい方法としての回答は得られないのは怖いからであって
今あるものに慣れてしまって崩せないからであったり
就労移行のスタッフは勝手なことを言うもので
そういったことに毎回戦いを挑んでいけとおっしゃる
それが仕事だと
実習先の人には
仕事と学生時代の友達との会話は違うという
そこにお客様がいるだの何だのと
それにはきりがなく
相手が話しづらい雰囲気を出していてそれだけでそれはあるものに感じる
学生時代とどう違うんだろうか
本質的には変わらなくて
何かを伝えるといつも傷つく
それを押してでも伝えなきゃ行けないという
相手がこうだと認めないものをそれは違うというというか
相手の見ている世界を根っこから崩す
それを言葉にするのは難しいけど
心を許さないほうがよくて
何でも聞くことは精神をすり減らし
精神をすり減らす方法は最善じゃなく
もっと自然に楽しく話せる
ある芸人が人を笑わせるときには自分もニヤニヤしているものだといってた
そんな感じで僕自身の中にあるものが笑顔であれば笑顔だし
いやだと思えばにじみ出て
精神をすり減らし話していること自体が
利用者のほうが器がでかくその人らの器に入らない
方法やそこでの人員ややり方によって
そこにいる人の勤続年数や
そういったものをもろもろ考慮したうえで
パターンとしてそこでの働き方はあるとしたら
物事を聞けという反面
自己判断ということを推奨するからルールで泣くお客様と考える人を呼び寄せる
けどそれを勝手にやるなという
という
物事の判断基準を
そこにいる人らは
その人が言う意見なんてどうでも良いのだけどその人は
あまり頭も良くないからそれらをまとめ切れないというか
だから強引にことを進める
それらを僕がひっくり返すわけにも行かないだろう
わざわざけんかを売って
見えもあるだろう聞けないところもあるだろう
本を売るときに
どこまでを書けばいいかとか
どこまでが書き込みかとか
すべてがあいまいだけど
方法のひとつとして
大勢の人に診てもらい判断するということがあると思う
3人しか人員がいないから
一人に任せられるというのは仕方ないやり方として飲み込むしかないとして
1人の失敗を失敗だといって攻めるんじゃなく
だって人って失敗するし
それらをきちんと考慮してどんな馬鹿でも失敗をしないよう考慮するのがうえのすることだと思う
攻められるだけ攻められる
聞けという
でも聞ける環境でもないし失敗する環境を誘発させて
なおかついうことを聞けっていうのは
だから方法としてそもそもベクトルが違うだろうと思う
馬鹿が大勢いてもそれらを生かして楽しくだって仕事ができて
やりがいとかその場その場で違うかもしれなくっても
そりゃ、そこで経験することで得られるものもあるだろう
でも、やっぱそこでだから僕が言葉を発してそれをかえることを求められるんだけど
でもその耽美にこうするぞと意気込むし怖いのは間違いだと思うし
だから、何でもかんでも聞くんじゃなくてやっぱこわいというのがあって
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