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2018年12月20日20:49

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ニュース薮にらみ

>ゴーン前会長の勾留認めず(https://news.yahoo.co.jp/pickup/6307403

最近のニュースを見ていると、コノ捜査もなにか竜頭蛇尾になる可能性もありそうな雲行きもある。今回の拘留申請却下と言うのも、直近の森友園長の長かった拘留期間などの経緯と考え合わせると、捜査・取調べ手法に対する、欧米からの批判と言うのも多かれ少なかれ影響が無い訳でもなさそうに感じる。
検察のモリカケ問題に対する政権への忖度(・・・と、一見見えた)体質を見ていると、現在の検察幹部ではゴーン氏らのグローバルな修羅場をくぐって来た辣腕手腕に対抗できるのか、論理力・人間力の点でいささか疑問でもあり心もとない。ソウ思うと、今回の拘留却下の決定を下した裁判所も欧米の批判に腰砕けになっただけのようにも見えて、裁判所判断の公平・公正さと言う点での疑問もある。
以前に比べて、検察、裁判所への信頼性が薄らいでいるように見える点では、お隣の国のそれらに対して我が国も余り偉そうなことは言えぬのかも知れぬ。

>認知症の「徘徊」、「ひとり歩き」に言い換え…自治体の動きに賛否両論(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181217-00050007-yomidr-sctch

「ひとり歩き」は心を痛めない?或は、返って危険?…ソウ言う問題なのか?
言葉と言うものは生き物であり、時代とともに変化する。昔、部落問題などで所謂”言葉狩り”が盛んに行われた時代があった(今も、続いているが・・・・)。私は、思考の柔軟性と言葉の可変性を考えると、”言葉狩り”には必ずしも賛成は出来なかったが、当時明らかに”差別用語”として既に定着してしまって(意味の柔軟性も可変性も失って)いた言葉もあったことも事実で、言葉狩りにも一定の意味・意義もあることは認めざるを得ないとも思っていた。
それに対して”徘徊”はどうだろうか?辞典に寄れば、「徘徊:あてもなく、うろうろと歩きまわること」(大辞泉)・・・とあって、必ずしも差別的な意味合いは無い様に見える。実際、私も定期的に今も繁華街を”徘徊”することを楽しみにしていたりする。
また、認知症と言う言葉は”痴呆”と言う言葉がある種の状況では不当にネガティブな印象を誇張し差別を生じる可能性のある言葉として定着しているのを避けて新たに使われるようになった医学上の用語だという(この”言い換え”は私も同意する)。
してみれば、”認知症患者の徘徊”にあからさまな差別的な意味合いが含まれるようになったのは、最近のことであり、それは我々の世代が生み出した新たな差別感情では無いか?・・・・そもそも認知症と言うのは、人間であれば避け難いさまざまな疾病の一つを表す医学用語であり、認知症はソレを患う人自身には何の咎も無い他の多くの疾病患者と同じく一切の”差別”の対象になってはならないものである。では、本来、差別の対象になりえない”認知症”患者の、本来差別的要因を含まない”徘徊”の行為が、なぜ差別的になるのか?・・・・ソレは明らかに、我々現代人の”なりたくない”と(非理性的に)思う疾病に”なってしまった”人への(非理性的な)哀れみ、或は忌避感情の変形ではないか・・・と思う。その意味で、我々の認知症患者への眼差しの中に既に一種の差別感情が紛れ込んでいるのであって、それは”徘徊”を”一人歩き”と言い換えて解消されるようなものでは無いように思う。我々人間は我々自身の希望通りに疾病の大半を制御する術を未だに獲得していないのであって、特定の疾病に対して差別する云われも差別される云われも無いことを、まずは肝に銘じたい・・・・でなければ、例え”徘徊”を”一人歩き”に言い換えても、いずれ”認知症患者の一人歩き”も差別表現になるだろう。

>炎上する「妊婦加算」は本当に廃止すべきか?(https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20181218-OYTEW325191/

妊婦に対する診療・医療行為に普通とは異なる特別の配慮が必要であり、それに応じて支払われるべき相当の対価が生じる・・・と言う事は当然でもあり誰もが理解する。それを誰が負担するのかについては色々議論の余地もあるだろう。
しかし、コノ記事にある、

>妊婦加算という「ファイトマネー」を設けることで、妊婦を丁寧に診察するモチベーションにつなげていく、というのが制度の本来の目的・・・

と言う(一見尤もらしく聞こえる?)説明は、実際には極めて欺瞞的ではないか?本来、医療行為の質は「ファイトマネー」によるモチベーションで決まるべきものか?コノ国の医療行為のモチベーションが「ファイトマネー」によって維持されることが当然の前提と考えられているとすれば、”妊婦加算”の問題と言うよりも医療倫理全般(の崩壊)の問題である。
”医は仁術”と言うのは、痩せ我慢の理想かも知れないが、まずは建前として”常に”押し立てておかねばならぬ錦の御旗では無いかと思う。コノ旗を降ろして”ファイティングマネー”を”本来の目的”と恬然公言するのが産婦人科の医者だというのは・・・・世も末では無いか?

>南青山の児童相談所問題

極めて不愉快なニュースだったが、ジャーナリズムをはじめ大半が批判的なので、私から取り立てて言う事はもはや無い・・・・まあ、批判の多くは尤もだと思うし私も同意するものが多い。・・・が、こうまで批判の大合唱になると、そう言った批判の中に、多数によるバッシング気分や南青山と言う地区へのヤッカミが紛れ込んでいないかは自省しておきたい・・・・

本日、昼からブラームスだシューベルトだ・・・とあれこれ尤もらしい顔をしてピアノ曲を聴いたあと、奥方に頼まれた買い物に。帰ってみると、近所の何時もよく来る三姉妹が来訪。ホットケーキを作り、ババ抜きゲームをやって(敗北)時間を過ごす。頗る気分よろし・・・・
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