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2018年12月15日18:52

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よく判らない・・・

>停車は危険運転と認めず「あおりが事故原因」 地裁判決(https://www.asahi.com/articles/ASLDG5SRBLDGUTIL03S.html)

今週はコノ裁判をニュースが取り上げることが多かった。危険運転致死傷罪が成立するのか否かが議論の中心になっていたように思う。”運転”という言葉に車の停止(後)も含まれるのかどうか?・・・・が問題だったという。弁護側は車の停止後に起こった事態は、運転行為に含まれないので”危険運転致死傷については”無罪と主張したのだそうである。”法”は無闇な拡張解釈を許さないように”可能な限り”厳密に解釈すべきだ・・・と言うのはよく解る。常識的には確かに停止状態を運転状態・・・・とは言わぬだろ〜、と言うのは理解できない訳でもないので、弁護側が、それを一つの法廷戦術の武器として使うのはある意味では当然でもある・・・・が、今回の場合、言葉の解釈に合わぬから”無罪”・・・と言うのも偉く犯された罪の解釈を(敢えて?)無視する杓子定規と言うか、極端(・・・に聞こえる)な主張だと思って記事を追っていた。
起訴状、弁護の細部、判決文を読んだ訳では無いので、何とも言えないところはまだまだあるが、上記のニュースに寄れば”危険運転致死傷罪は成立する”が”停車は危険運転とは認めない”・・・・と言う事らしい。ニュースによると、今回検察側は起訴状の中で高速道路における最低速度規制を持ち出して停車はそれに反する危険運転だと主張したと聞く。私は、検察も色々苦心した理由付けだと思ったが、なるほど”うまい”論理構成だとも思った。”運転”免許ではアクセルの踏み方は問うが、ブレーキの踏み方はどうでもよい・・・・と言う事はあるまい。してみれば、道路上の停止を含む”低速”違反行為も危険”運転”と(場合によっては!)看做しえる・・・・と私は思ったからである。しかし、今回の裁判では、この主張は認められなかったようである。
これ以外にも、この事件では、実際の死亡事故の直接原因は後続のトラックの追突によるものだった、と言う難しい事情もある。
法の厳密な解釈・・・・と言うのは、数学や科学における厳密性とは明らかに異なる。数学や科学では、そこで使用する言葉の意味をまず厳密に定義・制限した上で定理や法則について述べるが、人間界の事象については法の言葉自身が既に曖昧さを含んでいる。恐らく数学並みに厳密な法解釈を必要とすれば、人間行動の記述には事案ごとに法を作らないと対応できないだろう・・・・その意味で、現在の法体系は必然的に”十把一絡げ”の大雑把さを容認せざるを得ない要因を含んでいる。
今回の事案では、ソノ辺りの問題が未だモヤモヤしたままである。今後、控訴があるのかどうか解らないが、もし有るのであれば、ソノ当りについて裁判所がどういった判断をするのか、注目してみてみたいとも思う事件ではある。

音楽

今週はちょっと故あってクララ・ハスキルの録音ばかりを聴いていた。
ティーンエイジャーのころ初めて聞いたモーツアルトのピアノ協奏曲(マルケビッチ/ラムルー管)以来、もう50年以上のお付き合いだが、今も彼女のピアノは私にとってなにか神聖の域にあるピアノでもある。
しかし、もうだいぶ以前、娘から「ハスキルの何がそんなによいのか?」と聞かれたことがあって、ハタと困ったことがある。まさか、彼女の逸話・伝説・外見に惑わされて彼女を神聖視しているつもりは毛頭無かったけれど、具体的に”何が?”と聴かれると、私も答えに窮してしまったからだった。彼女の、ピアノは確かに繊細極まりないけれど、彼女くらい(或は、それ以上に)繊細なピアノを弾くピア二ストがいない訳でも無い様にも思う、また、彼女にはリパッティも驚いたという様なヴィルトォーゾ的なところもあるが、彼女以上にヴィルトォーゾと言うに相応しいピア二ストは他にも何人もいる、彼女の控えめで謙虚な性格がピアノにも現れている・・・と言えばソウ言えない訳でもないけれど、彼女のピアノの魅力はそんな思い込みだけでドウとでも言えそうな曖昧な理由に基づいているとはどうも思えない。・・・・・要するに、未だに彼女の”特別な”ピアノの魅力の具体的な理由を私は答えられないでいる。
ハスキルは元々それほど録音に恵まれた人ではなかったけれど、30年ほど前から徐々に彼女のライブ録音なども発掘されるようになり、色々な演奏を聴くことが出来るようになった。それらのどれ一つとっても”?”と思う演奏が無い・・・・と言うのも、私にとってハスキルのピアノの何か特別なところでもある。戦後、彼女も色々な指揮者と協奏曲の演奏をしているが、随分個性の違う共演者との演奏で彼女のピアノは、彼らに押さえ込まれる訳でも反抗する訳でも流される訳でもなく、自ずと彼女らしさをを表現できてしまう柔軟性も、”我も我も”の自己主張が当たり前の世界にあって異質な”彼女らしさ”ではある。私は”我も我も”の自己主張も決して嫌いな訳じゃないけれど(寧ろ、ソレが好き)、ハスキルのピアノはそう言った自己主張を聞く緊張感を必要としない、それでいて私にとっては唯一無二の個性的な演奏でもある。
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