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2018年12月14日20:54

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34年目に思う・その2

この1年は趣味の範囲でも、様々なコトがありました。

なお、この日記の中ではガンダムシリーズとFGO−−Fate/GrandOrderについて取り扱っておりますがコレらのコンテンツについてのネタバレに該当する記述も含まれますので未見の方は御注意ください。










最も印象的な出来事は、先の日記でも触れた、FGO−−Fate/GrandOrder第1部の攻略でした。

昨年7月末の2周年に始めてから5章まで進めたもののあまりにも1部6章ーー第六特異点・神聖円卓領域キャメロットの難易度が高くて人理修復は戦力整えつつまったりやっていこうかと思っていたのですが、昨年12月のクリスマスイヴェントの頃から第1部攻略が参加条件となるイヴェント・キャンペーン(2017年クリスマスイヴェントは第7章攻略が参加条件でした)をやるという方向性が打ち出され、フザケるな!初心者置いてけぼりか!と一念発起して6章、7章ーー絶対魔獣戦線バビロニアと駆け抜けました。

そうして今年1月に到達した終章ーー終局特異点・冠位時間神殿ソロモンは涙無しでは見れませんでした……
ヒロインののマシュを襲う事態までは耐えていたものの、最後の敵の前に姿を見せた、あの人物の予想だにしなかった行動。
その行動の前に、私はむせび泣かずにはいられませんでした……
彼女達が文字通り命を懸けて取り戻さんとした未来を取り戻して報いるために、血反吐を吐くほどの思いでラスボスを打ち破り、人理修復を成し遂げました。

今現在は第2部3章を既に攻略、来たる4章に向けてイヴェントや育成の日々を送っています。
ホントは次の章が始まるまでのんびりやる気だったのですが、第2部シナリオ攻略が参加条件のイヴェントがあるわでヤケクソ気味に攻略したり、3章のシナリオが大好きなアニメ「PSYCHO-PASS」シリーズや現在放送中の布袋劇「サンダーボルトファンタジィ」シリーズを手掛けた虚淵玄さんだったものでノリノリで1週間で攻略したりしていました……濃密な虚淵玄を味わえたので後悔はありませんが。

さて、第1部では明らかに
「理不尽に奪われた未来を取り戻す」
という大義名分がカルデア側にありました。

しかし第2部の異聞帯(ロストベルト)は行き詰まり、世界から切り捨てられながらも突如として復活のチャンスが与えられた平行世界とそこに息づくすべての生命を滅ぼすという、あまりにも重い宿命が課せられており、特に2部3章には重い問いを突き付けられました(今度Twitterに呟いたものを整理して書くかも知れません)。

あと、来年以降にサンダーボルトファンタジィコラボとかやりませんかね?
ギリギリFGOとのコラボもイケそうだと思うんですがアレ(笑)。

もう1つは、やはりガンダム。

TVシリーズでは大人気のガンダムビルドファイターズシリーズから世界観が一新されたガンダムビルドシリーズ、「ガンダムビルドダイバーズ」が放送され、当然の如く大いに楽しみました。
本作の世界観はGBNというオンラインゲームの中で作ったガンプラをスキャンして戦わせる、プラモ狂四郎や超戦士ガンダム野郎、プラモウォーズなどのプラモシミュレーション漫画に近い世界観に一新されました。
ですが見惚れるメカアクション、個性的なキャラクタ、笑いどころではしっかりと笑わせながらもシリアスなシーンでは決める、ビルドファイターズからしっかりと魂は受け継がれていました。

ですが後半の展開は驚くべきものでした。
主人公リク達の仲間であるサラの素性が、ゲームの中で偶然生まれた電子生命体で、彼女の成長がいずれゲームの崩壊に繋がるという残酷な現実が突き付けられたのでした。
たかがゲームよりひとつの生命が大事だ!と思ったものですが、一方でトップランカの一人
であるロンメルの、「GBNは現実世界で自由に動けない人間にとっての『現実』である」という台詞には心を揺さぶられました。

ひとりの電子生命のために、多くのゲームの中でしか生を謳歌出来ない人間にとっての世界を見捨てるコトが出来るのか?

もしも私がビルドダイバーズの世界に生きる人間だったとしたら、サラを切り捨てる選択をしていたかも知れないとさえ、思ったものでした。
その中でリク達が選んだのは、サラとGBNを両方救うために、彼女のデータをGBNから現実世界に取り出すという道でした。
この道を選んだためにリク達は憧れの人であるチャンピオン、クジョウと対立するコトになってしまったのですが、この辺りの展開は実にガンダム的であると感じました。

数多のガンダムシリーズでは主に、地球と宇宙に分かたれた人間同士の争いが描かれ続けてきましたが、ビルドダイバーズでのサラの処遇を巡る対立はコレを思わせるものでした。

また、現在公開中の劇場映画「機動戦士ガンダムNT(ナラティヴ)」も観ました。
「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)」の外伝小説「不死鳥狩り」を元にしながらも新キャラクタやストーリィで描かれた本作は非常に満足のいく仕上がりであり、楽しむコトが出来ました。
個人的には、UCが人の革新とされたニュータイプへの希望を描いた物語だったのに対して、NTは主人公ヨナや彼と最終的に対峙する強化人間ゾルタンの様から絶望の物語だったと感じました。

偶然にも幼馴染のリタとミシェルと共に一年戦争期にコロニィ落としを予見してしまったコトでニュータイプの可能性があるとして、戦後にニュータイプ研究所で非人道的研究によって死の恐怖と隣り合わせの生活を強いられ、ある事件によってリタと引き離されミシェルに裏切られたヨナ。カリスマ的存在であるシャアを模して生み出された強化人間でありながら、フロンタルの様にシャアの再来とはなれず失敗作と扱われ、影で自分を動かしていた者から切り捨てられようとしたコトによって、地球圏に大災厄を齎そうとしたゾルタン。
私には、彼らが抱いていたのはニュータイプという存在を求める人々への絶望に感じられたのです。
ニュータイプが超人的な能力を持つ兵士であるばかりか、人が永遠の命を得られる可能性を持った存在となったコトでまたヨナの様に人生を狂わされる人間や、ゾルタンの様に強化人間にされる人間が現れる、そう考えた彼らが絶望を抱いてもおかしくはないと思うのです。

ヨナがリタにかつてに問われたコトへの答えも、何処か「楽になりたい」という思いの現れであるかの様に感じられました。
その中で、ラストにある人物が現れたのは何かを示唆しているかの様に私には思えました。

この2つのガンダム作品を見て、私は「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」シリーズ完結以降に抱きかけていたガンダムというコンテンツへの絶望に対しての救いを得られた様に感じられました。

鉄血壱期を絶賛するために、過去の作品−−ガンダムSEEDシリーズを叩く。
鉄血弐期の衝撃のストーリィ展開での手のひら返し。
その後、ガンダムビルドファイターズ GMの逆襲の製作がアナウンスされた時のビルドファイターズでさえ続編はダメだったという意見。

もうたくさんだ!

ガンダムというコンテンツが作られる度にこの様なコトが繰り返されるのならば、もうガンダムはビルドファイターズだけ作っていればイイ!

完全新作なんか作られなくても構わない!

私は大好きなガンダムに絶望し掛けていたのでした。

そんな中で、ビルドダイバーズは「好きという気持ち」をテーマとして様々な形でそれを描いてきた様に感じられました。

ガンプラを実際に動かすゲーム、GPデュエルから仲間が離れていったコトで「好きという気持ち」を見失ってしまったコウイチ(コーイチ)。
自分の属していたフォースから仲間が離れていってしまい、「好きという気持ち」の拠りどころを取り戻すためにGBNを壊そうと企んだシバに与したアヤ(アヤメ)。
GPデュエルからGBNに移りながらも、GBNに物足りなさを覚えGPデュエルを「好きという気持ち」のためにGBNーー他人の「好きという気持ち」を否定しようとしたシバ。

その中で、「好きという気持ち」を真っ直ぐ抱き続け、「好きという気持ち」を否定するシバに涙を堪えながら他人の好きを否定しないでくれと戦いの中で訴え、「好きという気持ち」から生まれたサラを守り、救おうとしたリク。

彼らの様を見ているうちに、私はガンダムというコンテンツを「好きという気持ち」を抱き続けていこうと思ったのでした。

一方のNTでは、ヨナやゾルタンの様に絶望を抱きながらも救いを見出す、救いがあると信じる、その様な思いが感じられました。
だからこそ、あの人物はヨナの前に現れたのかも知れません。

すべては、私の勝手な想像でしかありませんが。
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