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2018年12月06日23:54

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2018年12月6日

人生を結果だけで見るなら
赤ん坊と老人しかいないわけで
途中過ぎ去るもの季節を楽しむということ
これをじゃあ道と名づけよう
過ぎ去るものどこにも答えはない
赤も青もすべては曖昧模糊
求めれば求めるほどすべてがわからなくなる
楽しいとは何なのだろうか?
笑うとは何なのか?
心から笑いたくても表面をつくろって答えをどこかに決めるとそれは一面で不幸だ
不幸な自分を見ずに幸せと決め付けているに過ぎないから
幸せとは今日も明日も明後日も安定して幸せで一瞬の光のように消え去るものではない
いつもそこにある安定
幸せが一瞬の光のようにそこにあるものでしかないならそれ自身が不幸を生んでいるものに過ぎないし
今日これがあったから明日はこれだろうと決め付ける心が不幸を呼ぶなら
それは真実じゃない
社会に出て
嘘をついている
その他人への対処法とか
あまりかかわらないようにするしかない
すべてが捕らえようなら
無駄なことも無駄じゃないことも楽しいこともつまらないこともよくわからない
ただ過ぎていく季節に思いをはせること。
死と言う道へ向けて、過ぎ去るこの一日一日の季節
今日も春が来て夏が来て冬が来る。
それ自体が楽しいと感じる
僕は最近目に見えない世界というものを考えない気がする
世界が広がり他人の意見を聞くと
結局世界も遠くない道筋に位置しているから
僕が不幸になっていく
あの人がなぜああいうことを言っていて
じゃあ、間違いといわれることへの切なさ虚しさ意味なども読み取れる
なら、じゃあ以前のものを否定して新しいことへ変えることの意味ってどれほどあって
ウェルビーの職員がえらそうにいって
社会で必死に仮面をかぶって
社会の縮図でやっていこうということの切なさとかも分かるし
それが起こる理由をまず人との違いとして
前向きにやろうとどうでも良いよの違いから発生したと仮定して
給与出て他人のために死のうぜって人と
しらねえよって人
その違いの中ルールにはまる人が偉いというか
人の善意からなったものでもそれを知らない人がそれを物として扱って
本音をいえず社会がただただ偉そうになっていくって言うか
でもそこでいちいち喧嘩売るのも面倒になって
最近社会のルールの中で勝手に楽しもうと思って
最近は今まで話さなかった人から声をかけられたりすることとか思うとなんだろうな、
結局戦っていてはなしていると回らなかったりすんだよね
僕の言葉が相手を傷つけているなんてことは
テンションがあがってほかが見えなくなっているとそりゃ見えなくて
むかつくほどにこの世では現実だから
すべてを言葉にしていくと虚しくって、夢がなくなる
そうなんだよ、なんだろう
どこの障害者雇用も分けているっていうかなんか違うっていうか
なんていえばいいのかわからない
なんだろう
そうしている人の心境やそこで働く人の心境も想像にかたくねえから
わかるからめんどくせえ
それをどう言葉にすればいいかとか
形とか
僕が歩む意味で未来と見た場合
確かに、橋渡しにする必要があんのかななんて思ったり
結局なんで弱い立場の僕がその中間に位置すんだよ
と思ってそれで何かしようにもどうしようもねえ自分もめんどくせえから
見ないで自分が幸せを見るのが都合がいい
以前のような立ち居地で物事を判断できているかは他人の意見を聞けば聞くほど自信ないけど、見ないことでまた新たな世界や捉え方ができるとするなら
極論楽しいなんて何が楽しいかなんてわかりゃしないんだから
永遠にひよこの雄、雌数えて基地外になったとしてもそりゃ捕らえ方によっちゃ楽しくて
作るって、実際形にしなきゃいけなくて
相手に伝えるには何を求めているか伝えなきゃいけないから明確にしなきゃいけないと物事は消えていくからその差異とか
目の前には道がないから結局歩む上では自分で切り開くしかなくって
僕の知らない人や僕が怖く感じる人や事それらへの対処を学ばなくてはいけなくって
適材適所に鈍感になっていって
それでも社会のルールの中で死んでいくのも知っていって
でも、なんというかあの人ほど社会しらねえよ
敵だよとも言えない
言えなくなった
なんだろう
あの人らすべてめんどくさいんだよね
悲しみ背負ってて
同じことをだから捕らえ方変えてただ言っていて
どうだって良いけど
ものを買えば幸せで社会に迎合しろというあの若いのりは嫌だな
あれをただの明るいとして捕らえるのって何言ってんだお前と思うし
結局ものってなくなって自分の人生じゃないし
虚しいからそうじゃないだろうと思う
社会がにくくって迷ってそれも良いけど
周りが沈黙して居心地が悪いというのもわかるし
でも、見失ってなんか嘘ついてよくわからなくなったから
物に頼るってそれって不幸ジャンと思うけど
迷いに迷ってただ笑ってその場を乗り切ろうという本来の自分じゃないのもめんどくさいから
しらねえけど、僕が争わずただ楽しんで地味に生きることで
なんだろうな。
僕の雰囲気が変わるでも相手が変わって回る流れも変わるんだと思う
だから、また感謝が現れるんだけど
なんだろうな。
今ある道って、敷かれたレールであって
社会の歯車とは聞こえ良いけどただひたすらすり減らしていて
僕の創造とかけ離れていくのは目に見えていて
すべてなくなっても僕は僕として独りで生きれるかって言うと
結局僕はこのルールの中でしか生きていない
だから、面接というものがないと生きれない僕は社会でルールしか生きていない
だから動かなきゃいけなくて恐れを超えて何もない道を切り開く必要を感じて
結局そうするには社会に出て経験をつむという本来の目的とはかけ離れたことになっていく
となるとやっぱり芽が詰まれることになって
そりゃね、今日見たところのように自分が動くことで本来は地上が揺るがせる行動力が備わっていてもそれを行動の仕方を知らないのはなんともと思う
恐れやそういうのが
結局間違った社会で生きるしかなくて
そう思うとあの切なさも理解できるのが腹立つ
まあ、腹立たないんだけど
なんだろうもやもやする
できないことに対してどうのと文句付けてんのもわかるからね
面接がなくたって相手の役に立ってただそれだけで金が回るなら
人の関係が合って何かを生み出せるだけで何かがつくれんだと思っていたし
それを正解と思っていたはずが
なんだろうあの切なさにでもやられたのかななんか中立になっちゃったのがハラタツし以前のような行動しなければならないとか
そうじゃなくてどちらでも何とかなりそうな位置に来ちゃったのが僕自身人間として自分自身つまらなくなった
そこに以前の僕の考えを出されると
なんかそこまで厚くなれなくて
なんかあのいけ好かないただの文句とも取れる切なさに加担をしてしまうというかそれらにどっちに答えがあるわけじゃないと知ってるから
なんだろうな。
すべての人が笑うのが理想なのに
なんか理想を追い求めると僕を失う
人の違いを知ってそりゃすべてが、ちっちゃい事でくだらないことだとは思ってそれを大きく捕らえんのも社会ってどうなってんだとも思う
どうでもいい考え方の違いをさも二度と道が交わらないかのように語られる
それを、認めるようになっちゃった
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