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2018年11月29日11:28

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11月29日

 生年月日を伝えると、瞬時にそれの曜日を言い当てることのできる人がいる。まさしく超人的な能力で、ぼくには逆立ちをしても真似のできないことだ。いったい何がどうなって答えが導かれるのか皆目見当がつかず、ただただ不思議に思えて仕方がない。だから、きっと彼の中には分厚いカレンダーが内蔵されているのだろう、などと言って納得するほかないのだけど、答えを出すまでに1秒もかからないことを鑑みれば、その仮定すらも凡庸なものに思えてくる。
 彼は、職場における障碍者雇用の枠ではたらき、主に建物内の清掃をおこなっている。その仕事ぶりはとにかく丁寧で、まず抜けがない。任されたスペースに責任を持ち、気になる箇所があれば時間をかけて徹底的に汚れを落としていく。労働というよりは、やらずにはいられないといった個人的な執着を持っているようにも見える。あるいはそれは自身の内面を外へむけて表現するのに清掃というツールを利用しているだけなのかもしれない。どちらにせよ彼はこの仕事を楽しんでやっているのは間違いなく、それを見ているとこちらまで爽やかな心地になれる。
 生年月日については彼の方から切り出してきた。階段のおどり場で休憩していた彼が、そこを通りかかったぼくに質問してきたのだった。あまりに唐突なことで頭がはたらかず、自分の生まれ年がすぐに出てこなかった。ええと、などと考え込む間、彼はもどかしそうに体を左右に揺らしていた。
 そして、「あ、そうだ1982年だ。8月27日」とようやく思い出して言った。すると彼は即座にそれを切り裂くかのように「土曜日!」と叫んだ。
 その少しくぐもった声は狭い踊り場に反響して膨らんだ。ぼくの耳を通り抜けにくそうに、しかしなんとか通過していく。その過程、ぼくは彼の類まれな才能にとことん打ちのめされ、めまいで片膝をつくくらい自分の誕生した日が土曜であることを思い知った。
 「す、すごい!」と言うほかないぼくは、彼を羨望のまなざしで見つめ、ひたすらに拍手を送りつづけた。でも彼は得意げになる様子もなく、当然のことのように淡々とすましていた。すでにぼくへの関心は失われたようで、ふたたびモップを手にもって黙々と床をふきはじめた。
 それから数週間後、不思議なことにぼくは街中でふたたび生年月日を聞かれることになった。今度は分厚いめがねをかけた見知らぬおじさんで、なぜか駅のあたりから付きまとってきていた。やたらとボディタッチが多く、ぼくのシャツのすそをズボンの中にしまい込むことに強い関心があるらしかった。ぼくがシャツを外に出しても、即座におじさんはそれを中にしまい込んできた。これが何度も繰り返され、埒が明かない。結局ぼくはシャツを中に入れたままおじさんの話を聞くことになり、そしてそこで誕生日を問われた。
 おじさんも答えを出すまでが早かった。ほとんど間を置かず、さながら早押しクイズを誰かと競っているかのようだった。でも、おじさんが言ったのは「金曜日!」だった。
 
 家に帰るあいだ、ぼくはそのとき「惜しい!」と言ってしまったことが、適切なことだったのか考えていた。おじさんの方が正解で清掃の子が不正解ということも十分にあり得たわけだ。にもかかわらず、おじさんを間違っていると判断したのはジャッジに不公平があったように思われた。そもそも曜日当てクイズに、惜しいという概念があるのかという根本の問題もある。
 ネットなどで調べてみればすぐにも正解がわかる。でももしおじさんの方が正しければ取り返しがつかない。そのときは謝罪のため、一番すその長いシャツを着て駅で待たなければならない。ちょっとまだ勇気が出ず、ふたをしたままでいる。
 

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