第613回 札幌交響楽団定期演奏会

【演奏曲目】
　モーツァルト：　歌劇「魔笛」序曲
　ブルッフ：　ヴァイオリン協奏曲 第１番 ト短調 Op.26
　ヴェートーヴェン：　交響曲 第３番 変ホ長調 Op.55「英雄」

クララ・ジュミ・カン（ヴァイオリン独奏）
小泉　和裕（指揮）
札幌交響楽団（管弦楽）

２０１８年１０月２６日（土），１４：００，札幌コンサートホール


札響１０月定期で予想外のことが２つ起きた。稀にみる気高いブルッフのヴァイオリン協奏曲第１番と重厚なベートーヴェンの「英雄」である。インパクトはブルッフの方が格段に強かったが。

韓国系ドイツ人のヴァイオリニスト，クララ・ジュミ・カンが弾くブルッフのヴァイオリン協奏曲第１番は気品に満ちた稀にみる秀演。これほど高貴な音楽を奏でる演奏家を聴くのは初めてではないだろうか。彼女が最初の音を出した瞬間から，会場全体が気圧されてしまい，一音足りとも聴き逃すまいとする気配がホールを包む。ブルッフのヴァイオリン・コンチェルト第１番が品性に欠ける作品だとは毛頭思わない。だが，濃厚なロマンチシズムは横に置いて，品位を前面に押し立てて弾き切るというアプローチは意外であると同時に新鮮そのもの。そして，演奏が進むにつれその気高さが彼女の音楽性そのものであることが明らかになる。

彼女のヴァイオリンの響きは細身。でも，それが空気を切り裂くような鋭すぎる金属的な響きから懸け離れた人間的な温もりを感じさせる。その温かな響きは背筋がすっと伸びた人格的な高貴さから生じたのではないか思わせる何かがある。演奏技術の点でも申し分がない。難所もそれとは感じさせないくらい易々と弾いてのける。申し分がないどころが完璧といってもいい。

聴衆だけでなく，オーケストラも指揮者も彼女の演奏に圧倒されていたような節がある。少し物足りなくなるくらい自己主張を抑えて，伴奏に徹していた。控え目を通りこしてソリストに同化気味だった。それくらいインパクトのある独奏である。

演奏はとても素晴らしかった。でも，ブルッフで大成功を収めたこのアプローチが，どんな作品にも通用するのだろうかという疑問もわいてくる。彼女のスタイルでショスタコーヴィチやバルトークに挑んだらどうなるのだろうか。現代作品以外の演奏でも，聴衆は彼女のスタイルに飽きてくることはないのだろうか。そもそも，このアプローチで様々な音楽の核心に迫るような演奏が可能なのかが気に掛かる。一本調子だと飽きられるリスクもありそうだ。それと同時に，どんな作品でも彼女の流儀で押し切って聴衆を納得させてしまう可能性も小さくない。機会を作ってあと何回か聴いてみたいアーティストだ。

ベートーヴェンの交響曲第３番は，札響にしては初めて聴くような重厚感があふれるオーケストラ・サウンド。近年，アンサンブルの精度が上がった反面，その響きはサラサラふわふわの方向に大きく振れた。だから腹にズシンとくる重量感あふれる札響を聴くことができたのは嬉しい誤算である。そのサウンドがベートーヴェンのシンフォニーにふさわしい。このオーケストラも指揮者のいかなる要求にも応えられる柔軟性と器用さを身に付けたということなんだろうか。

ただし，重厚な響きを発していたのは主に弦楽器群。管楽器，とりわけ金管はまだまだ改善の余地は大きい。たとえば，第３楽章の有名なホルンのトリオ。技術的なミスはなかったものの，重厚感という点では弦楽器に置いてきぼりにされていた。金管楽器ほどではないにしても，木管楽器も重厚なサウンドという点では，弦楽器の後塵を拝する。

札響から重量感のあるサウンドを引き出したのは，小泉和裕の手腕のなせる技だろう。今後，小泉との共演を増やせば，このオケが飛躍する切っ掛けをつかむことができるかも知れない。

１０月の定期演奏会の最初に取り上げた「魔笛」序曲では，響きの重量感はさほど目立たなかった。ベートーヴェンとモーツァルトでは要求される響きが違うということなのか。そして「魔笛」でも３本のトロンボーンの存在感は物足りなかった。もしかすると，小泉の金管の扱い方に問題があるのかも知れない。

予想を超えたアプローチのブルッフが圧巻の演奏だった。クララ・ジュミ・カンというヴァイオリニストのこれからの演奏活動に注目せざるを得ない。ブルッフで採った気品あふれるアプローチ一本槍でゆくのか，より変化に富んだ多彩な方向へ向かうのか興味津々である。このヴァイオリニストの存在を知っただけでも，この演奏会を聴きにいった意味はある。