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2018年11月01日09:16

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10月31日

仕事が立て込んでくると、休憩時間が満足にとれないことがある。一段落したあとに時間をつくろうとも思うのだけど、結局はずるずると機会を逃し、気づけば退勤の時刻がせまっていたりする。それは職場として問題のあることだし、なにより健全でない。もちろんぼくたちは、再三とこの息苦しい状況を上層部に訴えてはいる。でも、かえってくるのは、「業務改善をしてみてはどうだろう」などというお決まりの回答。要は現状のままなんとかやっていきなさいというわけだ。ぼくたちは食い下がる。「この慢性的な人員不足はどうするんですか。これは我々の責任ではないはずですよ!」。すると向こうは「まあまあまあ、すこしは落ち着こうぜ」などと言って肩に手を置き 、「もう少し待ってよ。ね?」と甘えた声を出す。もう何度同じことを繰り返しただろうか。すかされ、はぐらかされ、先伸ばしにされるたびに、ぼくたちはすり減っていく。
 
 現場での努力が足りないとされるのは、はなはだ遺憾だ。まともな休憩がとれるようにやれることは全てやったという自負がある。互いに助け合い、譲り合い、わずかだけれど時間をつくってきた。でもそれにも限界はある。どこかで無理をする分、着実にみんなの体力はけずり取られ、精神はむしばまれていく。現場にいると、その生々しい音が耳をすまさずとも聞こえてくる。
 真面目で手を抜かない人ほど、まいってしまうのはとても残念なことだ。そのとき長谷川さんは、発火する瀬戸際まで来ていた。何事も豪快に笑ってやり過ごしていた彼女も、近頃やたらと怒りっぽくなり、人に罵声をあびせるようなった。ぼくたちはこれを案じた。そして長谷川さんの仕事を半ば強引にうばい取り、少し休んでくるように背中を押した。「今こっちは手があいてるから任せといてよ」といった感じで、さりげなく。すると長谷川さんは、はっと我を取り戻す。そして目に熱いものを滲ませて言う。「なに言ってんのさ、みんなだって大変なくせに。あたしは大丈夫だよ、どうもありがとう」
 そこに、すこし気恥ずかしくも温かみのある時間が生まれる。ぼくたちはそれを共有する。共有しているという感触がある。チームと言えばすこし大袈裟かもしれないけれど、それのぼんやりとした輪郭が確かにそこにある。
 ぼくたちはふたたび前へすすみはじめる。一人では難しいことも、みんなでなら出来る。少なくとも可能性はぐっと広がる。何かを損なったとしても、その分を補い合い、励まし合っていけばいいとぼくは思う。
 でも、「あああ、もうだめ。ホントにやってらんない」と長谷川さんはふたたび怒声をあげた。先程から一時間もたっていなかった。きっと慢性的な疲れがあるのだろう。だれかのちょっとしたミスにも、苛立ちを隠せないようだった。ぼくたちは、乱れた投手のもとに集うナインのように彼女を取り囲み、励ましの声をかけた。すると長谷川さんは、はっと我に返る。それから取り乱したことをみんなに詫びる。「弱音を吐いてごめんね。みんなありがとう」。そして前を向いて歩きはじめる。
 こうしてぼくたちは、長谷川さんが崩れるたびにやさしく包み込み、ときには鼓舞をして、チームにひき止めた。こんなことが繰り返されていくうちに、長谷川さんの中から妙な人格が出てくることになった。
 ぼくが「長谷川さん、ちょっと休んできてくださいね」と言った直後だった。
 どこかで何かの蓋がふっとぶ音がした。
 「ああああ!そんなに休みたければ、休むがいい」
 長谷川さんは腕を大きく広げた身ぶりで、辺り一面に響かせた。「休むが、いい」
 その大きな声は体の内側を振動させた。ぼくは唖然とした。なんでぼくに休憩をすすめてきたのかわからなかった。なぜ国王みたいな口調になったのかもわからなかった。でもとりあえず、命じられたとおり、ぼくは休憩をした。しなければ処刑されてしまいそうだったから。

 今度、あたらしく入職があるらしいことを聞き入れた。ようやくこの長いトンネルの出口がかすかに見えてきた。ぼくは廊下を走る。なぜか玉座に腰を据える長谷川さんに耳打ちするため先を急ぐ。
 

 
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