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2018年10月28日06:01

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同窓会

10年ぶりの中学校の同窓会、また一人鬼籍に入る。
この年になると10年前と見かけは変化なし。

竹島という同級生が居て友人に韓国旅行に誘われ、入国審査で竹島という名字のために
嫌がらせを受けたという。

最後は

「お前は独島はどこの国の領土と思う?」

と問い詰められ仕方なく

「韓国領土です」

と答えて入国できたが、

「きたねえ国だし二度と行かねえ」

と言う。


それからは韓国、中国の悪口三昧が始まって,ある男が

「我々はあいつらの正体知ってるが、これからの世代はどうだろう」

と言う。

俺は逆に我々団塊の世代の方が嘘を教えられて育ってきたので彼らに同情的だと思っていたので意外に思った。

今の若い世代はネットで真実を知っているから、奴らのキチガイっぷりは良く知っている。

日本の朝鮮統治なんて欧米のような植民地化じゃなく同化政策を行って日本の莫大な税金を使いインフラを整え、教育をし、人口を二倍にしてやって、感謝されこそすれ非難される謂れはない。

それを奴らは日本が負けた途端に手のひらを返して、戦後「朝鮮進駐軍」を名乗り傍若無人の振る舞い。
恩を仇で返す犬畜生共だ、、、と言ったら犬や動物に失礼だった。


引用 *朝鮮進駐軍とは 

一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、おおむね1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人・韓国人)、もしくは現在日本に帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。

戦後、日本がポツダム宣言を受け入れると日本各地で、婦女暴行、窃盗、暴行、殺人、
略奪、警察の襲撃、公的機関への襲撃、土地建物の不法占拠、鉄道や飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。

自称「戦勝国民」(正しくは戦勝国民ではない)であると主張し、自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り各地で徒党組んで暴れ事件を起こした。
GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民が朝鮮進駐軍の犠牲となり殺害されたとされている。


朝鮮進駐軍による朝鮮人犯罪及びテロ行為について

服装・武器及び組織について

戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。
銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍の武器で武装し組織化を行った。

朝鮮進駐軍では旧日本陸軍のパイロットの軍服を好んで着用したが、これは日本兵に対するあてつけとも、日本人(皇民)に対するあてつけとも言わた。

組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごとに部隊名をつけその部隊が、個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。

朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日本朝鮮人連盟。更にこれが在日本大韓民国民団(略称「民団」)と在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、これが現在の民団と朝鮮総連となる。


時代背景

当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、また都市部においても疎開や空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。
また警察組織においても、武器の使用が認められないなど戦後特有の制限があり。

戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をたどった背景には、このような犯罪に対する抑止力の空白化が背景にあったとされている。

いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ(現在の指定暴力団)が朝鮮人から、日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。

この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、通名を使用しだすのは朝鮮の姓に対して嫌悪感や犯罪者といったイメージを日本人が抱くようになってからである。
ただしこれは、朝鮮人側からはもともと差別があったからとされている。

朝鮮人による犯罪

朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。
特に川崎・大阪・神戸・都心等当時朝鮮人が比較的多かった地域で多発した。
特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃・日本刀等で武装した朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。

市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、多数の犯罪行為を行った。

拳銃や刃物で武装しており一般市民は無力であり繰り返し行われることも多かったため被害が拡大した。
またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、多い説では1万人以上であったとも言われている。

略奪・窃盗・密売・土地の強奪等においても組織的に関与していた。
一般の露天商からの強奪や農作物・家畜の強奪(利根川水系の牛の強奪などが有名)等、さまざまな方法で集められた商品が朝鮮人によって売買され、その後の朝鮮人社会の資金源として利用されてきた。

その他に、戦後土地建物の所有に関する書類の損失や強引な立ち退きにより土地・建物の収奪も相次いだ。



1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し警察署を占拠。
翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち
1名は死亡にいたらしめた。

46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と応援出動した武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。
首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。

1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。
これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し1800名の朝鮮人が検挙された。
戦後はこのような事件が日本各地で続発した。



第八軍司令官ロバート・アイケルバーガー中将は、正規の大部隊を治安確保のため朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。
GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と発表するなど朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。
昭和26年に浅草で朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力事件では、米兵一名が死亡、二名が負傷した。


これが、日本で韓国・朝鮮人が嫌われている理由だ。

以上引用


我々の親の世代はこういった事を体験してきて彼らを蛇蝎の如く嫌っているが、終戦時物心ついていない世代からネットを使える世代までの間が

「日本は彼らに悪いことをしたのだから」

という自虐史観に囚われている。

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