mixiユーザー(id:26197080)

2018年10月07日10:57

138 view

今だから言えること、だが…。

タイ米騒動への批判批評、反省はあって当然だが、当時の事情や知識や感性で行われた事を、現在の人の事情や知識や感性で『安易に』責める人はどうかと思う。

■今と昔は多くの違いがある

当時に比べ、今の人は海外の食材や調理済みの料理を食べる機会が遥かに多い。知識にしてもSNSなどネットによって様々な知識、調理方法などが即座に入手できる。

だが、当時はネットも一般の人が手軽に利用できるレベルではなく、海外の食材の入手する店も、食べさせるお店も少なく、本やテレビでもそういった情報は殆ど無かった。

学生の頃から行きつけの四川料理店も、花椒を利かせた本場の麻婆豆腐は当時まったく受け入れられてなかったどころか、不味い料理の代表格だった。(※個人的に当時から好きだったので友人や家族に勧めたが、全員から「不味い、喰えない」と言われた。)

店主は「例えば日本のラーメンは醤油や塩、味噌などの味が表に出ないと美味しいと言わない。四川では複雑な香りと調味料の組み合わせで作るのが普通で、『醤油らーめん』など一つの調味料が主役で商品名になる事はない。」と言っていた。その為、全メニューが日本人に好まれるよう味付けに直されており、「本場 四川料理」という看板は逆に人が来なかったそうだ。

今となっては「本場の味」の看板はまさしく本場の味で、むしろ他店との差別化も含め、積極的に掲げるようになっているが、当時の「本場の味」は全く持って本場とはかけ離れていた。(※勿論、例外もあります。傾向として例を以て書いてます。)

そのくらい、食べなれず、知識(情報)も少ないものは受け入れる事が困難なのだ。


■対応が遅かった

騒動が大きくなってから、ようやくテレビや漫画を通して食べ方などが紹介されたが、国民のタイ米への不信感が極度に高まってからだったので、なかなか受け入れられなかった。だからと言って捨てたり貶める暴言を吐く事が許される事ではないが、当時の輸入米(タイ米以外も)は保存状況も悪く、カビなど臭いも味も悪かった。

中には死んだ鼠や釘などの混入もあり、それをメディアが徹底的に叩いた事もあって、ますます問題になった。加工用に輸入していた米を主食に回した事も評価を下げる原因の一つとなった。

不作であっても、当時お米の輸入に反対した農家は少なくない。その為、農家は輸入米に対して最初から反抗心があり、普段は良い方向で働く「農家としての誇り」が、悪い方向の「認める事を拒む」行為へ拍車をかけた。

「美味しんぼ」でも言っていたが、だからと言って同じ農家のタイの人達に対して敬意が無さ過ぎたのは、大いに反省すべき点だろう。


■当時は当時、今は今

戦争の話になると特に顕著になるが、当時の状況や知識、感性、道徳などから導かれる「当時の言動」は、どうやっても今の人には分からない。

だから何も言ってはいけない訳ではないが、その当時を知らない人が、今の感性で「無知なだけ」や「偏食で味覚音痴」、「老害」、「もっと糾弾すべき」等と安易に言う事には違和感を覚える。

個人的には、今、当時の行為を簡単に否定し「自分ならそうしなかった」「こうすればいいだけなのに」的な言動をする人は、当時であったら同様か、もっと酷い言動だっただろうと思っている。

今でも失礼に相当する言動も多くあるし、「興味ない、どうでもいい」で済ませている人も多々いる。将来、今の人達の言動が問題視されるかも知れない。だが「今の当たり前」は「1993年も ”今の当たり前” だった」ことをもっと配慮して反省すべきと思う。


■日本人はタイ米が嫌い?「平成米騒動」で長粒米が売れ残った理由【平成食ブーム総ざらい!Vol.2】
(クックパッドニュース - 10月06日 13:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=195&from=diary&id=5320291
3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する