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2018年09月27日13:06

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旅の同行の人間に望ましいタイプとは

ある作家、思想家の個人全集の各巻に挟みこまれる月報というものがある。
私はこれを見るのが好きだ。
そこには、その全集の著作者の、作品や文章そのものからでは伝わってこない横顔や、思いがけない一面が知られるからだ。
そういって、すぐ浮かんでくるものに、金子光晴の全集に挟みこまれた次の2人のものがある。
1人は、中野重治。
中野はこう書いている。

金子さんは、実際にはやったことがないが、旅の同行者として最上の人物ではないか。
こちらが喋りたいときはいつでも、それが、文学、芸術、政治、歴史、各国論、異性から俗世間のどんな話題でも、いくらでも奥深く、端倪すべからざる話相手になってくれる。
だがこちらが話したくない気分のときは鋭くそれを察し、いくらでも無言と沈黙を守ってくれる。
そして、小男の金子さんには、昭和十年代のあの泥沼の上海、東南アジアから地の果てのパリまで社会の底辺を風のように無一物で流れていった驚嘆すべき体験から、臨機応変の機転は勿論、いざ!というリスクのときには、案外膂力もありそうな気がする。

次は、アナキスト詩人の秋山清。
金子さんと、敗戦期の東京のある座談会に呼ばれ、その会場の前で会ったとき、会うのは昭和初年代以来だからもう20年ぶりくらいだったのに、ニヤリと微笑み、「ようっ!」と」ただ一言だけいった。
それはまるで、つい先週別れて以来とでもいうような親しみと気安さだった。
ベルギー象徴詩を最初に日本に紹介し、和漢洋の書に通じ、あの戦争期の狂気に世のなか全体の風潮にたったひとりで抗して一歩も引かず、底光りのする言葉での詩を刻みつけた金子さんとは、そういう人である。



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