mixiユーザー(id:4541837)

2018年09月24日18:13

491 view

安倍政権反対者と支持者についてのモトさんとの議論の私のお答え

ご丁寧なご回答、痛み入ります。
まず申しておきますが、私は安倍を、個人としても保守政治家としても、たいして評価してはおりません。ただし、無教養が明らかな個人の資質や水準はともかく、目に余る忖度やお友達厚遇などのこの数年の失政を除けば、政治家として落第だとも思っておりません。また私は四半世紀ほど株式会社の経営者を務めましたので、それを購入する人に感謝しこそすれ否定的な考えなどは持っておりませんが、私個人は、過去も現在も株というものを買ったことはありません。従って、安倍の経済施策で個人として恩恵を受けたこともありません。

この政権下での官僚の文書改ざんをはじめ、閣僚ほかの政治家の食言、品性を疑う言動など、ひどいものだと思っております。ほかの私の文章に書いておりますように、ここ20年間ほどの政治、官僚、錚々たる大企業、教育現場、出版やジャーナリズムの低質化、街角や電車内でのふつう人の振る舞いほかの明らかな劣化を見れば、別の文章に書きましたように、あるいは戦後日本社会の緩慢な崩壊がすでに始まっているのかな、という実感も、抱き始めているところです。
ではなぜ、安倍を擁護、評価するのか、とモトさんは、いわれるのかも知れません。

ふたたび申しますが、私は安倍を、個人としても政権としても、特段評価してはおりません。私があの文章で申したかったことは2つです。1つは、安倍が再度の政権獲得以降国政選挙で大勝を持続しているには現在の日本社会で客観的理由があるという事実の提示です。外交、内政をはじめ、それらに肯えないという人たちがいるのは、つねに当然でありますが。もう1つは、安倍反対派の人たちの掲げる「民主主義」という旗印への違和感です。以下、その2つについて、説明を試みます。

私は知性とは、視野の広さと、対象とするものごと全体の把握の正確さの2つが、最低条件だと思っています。
その私の原則から見たときに、先の2つの問題は、どう見えるのか。

まず、書かせていただいた文章に述べたのは、国政選挙三連勝が示している、今の日本人と世間が安倍政権を支持するのはなぜなのかといことがらについての私の判断です。前記のように特に近年、問題は大ありだとはいえ、国民の大多数が政治に望むのは一にも二にも暮しと経済で、その観点から見たとき安倍は、OECD加盟35か国でダントツの若年失業率の低さ、株高と企業収益上昇、微々たるものとはいえ政権発足以来ずっと持続している給与の上昇、近隣諸国の好戦姿勢への対処姿勢などの全般の結果への及第点で考えられているのだろうなというのが、私の見方です。
では次に、お友達厚遇や文書改ざんがその典型である、モトさんがいわれる法治の原則に反するこの政権下でのさまざまな問題行為はどうか。
答えは簡単です。それらが主権者たる国民に対する背信行為であることは論を俟ちません。
ではなぜ私が安倍反対派のかたたちに賛同、合流を躊躇するのかですが、あの国会デモのシールズを筆頭に、それらの人たちが必ず高くあげる「民主主義」という単語、イデオロギーに、私はどうもしっくりこないものを、感じてならないのです。ことあるごとにそれを持ちだす人たちに私は、言葉は悪いですが、”キツネが憑いたような”居心地の悪さを、感じてしまうのです。

それにはいくつかの理由があります。
その種の単語や思想を平気で掲げる人に、私は違和感を否定できません。まず最も根本的にはそれは、われわれが自力で考え、創出し、社会や世のなかに根づかせてきたものではないこと、第二に、そのためにそれは、私が嫌うモダニズムという意匠の脆弱さと浅薄さ、もっといえばインチキさを皮膚感覚で受け取ってしまうためでしょうね。自分たちの内部や歴史や風土から生みだしてきたのではないものには、必ずそういう根本的弱さや、非ホンモノ性が、どうしてもあるのだと思うのです。
しかし、では、西洋がその長い試行錯誤と検討と思考と議論と闘争の果てに、市民社会や近代というものとともに出現させてきたその民主主義を、その歴史を持たないわれわれは、どうすればいいのか。

正直にいうと、じつは私には分からないのです。その分からなさは、人間関係でも組織でも社会システムでも思想や芸術でも、あらゆるところに、表面は近現代、だがすぐ一枚下は封建かひょっとすると古代の心性をずっと残存させているこのわれわれの社会や人間が、今後どう変容するのかしないのかの分からなさと、正確に見合っています。あるいはその強固に「ヌエ的なもの」は、ずっと変わらないままなのかもしれないなと。そしてその実態と過程と二重構造のなかから、何かわれわれがその思考形態や言葉や場のなかからなら真剣になれるものを、編み出していくのかもしれないなと。しかしすくなくともいえることは、そういう複雑なその実態の正確な把握と認識なしには、われわれのこの社会も人間たちも、実像としては浮かび上がって来ないだろうなということです。従って私個人の対処法は、姑息ですが、そのときどき問題ごとのケースバイケースで、実務的、プラクティカルに対応するしかないのだろうなと、考えております。モダニズムの軽薄さの思想とイデオロギー抜きで。
まとめますと、安倍支持者=悪、反対者=善の勧善懲悪的単純思考が否めない二元論、安倍支持者=非民主主義、反対派=民主主義のレッテル貼りはしない、あくまで政治的合意形成プロセスとシステム以上でも以下のものでもない民主主義に、それ以外、以上の過剰な価値づけをしない、ということでしょうか。

13 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する