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2018年09月21日12:44

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吉本隆明と大庭みな子との対談

80年代におこなわれた「性の幻想」と題されたその対談のなかで、太宰治をめぐってのこういうやりとりがある。
大庭「私は太宰は嫌いです。自分の傷を舐めることばかり書いている甘えが耐えられないんです」
吉本「大庭さんは、戦争期の太宰のものを読んだことがありますか。それらには深い人間信頼があり、私はいいと思っているんです」
大庭「でも、太宰の文学の本質に、甘えがあるとは思いませんか」
吉本「大庭さんは、人間の心理を底まで切り刻む作品がお好きでしょう。でも、それは人間を見るうえでの往路に過ぎないと私は思うんです。かえりの道、というものが人間を見る目にはあるのではありませんか」
大庭「ああ、そのお言葉はよく分かります。かえりの道。それはいい言葉ですね。何だか、宗教的なものを感じます」

『右大臣実朝』『富岳百景』『新釈諸国噺』『御伽草子』『走れメロス』『津軽』などの太宰の戦争期の作品を好きな私には、ここのやりとりは凄く腑に落ちるのだ。
そうして、この吉本の言葉から”宗教的なもの”を感じ取る大庭は、するどいなと思う。
私は、その作品や登場人物や世界のどこからも、その底に、淡い優しさ、淡い虚無の流れているのを感じるこの作家の小説を、発売のつど必ず買って読んでいた時期がある。
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