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2018年09月20日07:21

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柄谷行人の『帝国の構造』を読む

柄谷行人の『世界史の構造』は、今世紀になってからはじめて出現した日本人による大きな仕事だ。
視線の先にあるのは、ドイツ観念論のカント、ヘーゲル、そして唯物論のマルクスである。この3人は、当時のヨーロッパのなかで政治的、経済的、社会的に後進地帯であるドイツにあって、先進国の英国とフランスを見据えながら、歴史の最高段階としての「歴史の終焉」ということを考え、それがどういうものかを提示しようと思考、構想したことで共通している。柄谷はそれらの仕事の意味を見据え、そのかれらにない視点を提示しようと試みたのだ。
それが『世界史の構造』なのだが、10年のこの著作の刊行後の12年に柄谷は、北京の理科系の名門の精華大から、その著作の内容のエッセンスの二か月間での集中連続抗議を頼まれ、引き受けた。その連続講義をまとめたのが、『帝国の構造』である。
ここで柄谷は、こういう。
世界史の全体を振り返り、それぞれの段階の意味と達成されたもの、また今後の未来を構想したのがかれらの仕事だ。その最高峰はマルクスの『資本論』だ。だがそこには、1つの欠点がある。それはマルクスが、これまで人類が辿ってきた歴史を、それぞれの時代が持つ生産様式で把握したことだ。産業資本が最高度に発展した19世紀の英国やフランス、またそれらに続くことになる今後の西洋地域ならそれは間違いではない。だがポランニー、マリノフスキーやレヴィ・ストロース、あるいはフレイザーなど未開地域の社会や経済、人びとの風習や伝統などを現地でフィールドワークしながら研究したマルクス以後の達成を検討すると、産業資本が発達した段階の社会や人びとが対象ならそれでよい社会の下部構造の生産様式だけをある社会や段階の基底とするのは視野が狭すぎる、べつのものをある社会の基底と考えるべきだ。それを自分は、人びとが財をやり取りする交換の様式だと考える。そうすると現在までの人類史は、古代共同体の「A.互酬」、封建社会と中世の「B.略取・再分配」、産業資本社会の「C.商品交換」という3つの様式を辿ってきたと説明できる。だがカントやヘーゲルがそこが最高段階で歴史はそこで終わりだと考えた産業資本主義社会はそこが終わりではない。その先がある。それは、「X.未知の交換様式」である。そこでは資本主義の悪を代表し象徴する商品交換様式は止揚され、古代の互酬が新たな形で蘇り、それが到来することになろう。
さて、こういう柄谷の仕事の意味をいかに受け取るか。

いかに受け取るか。
結論からいうと、私利私欲という人間の本性をよく見抜いており、ゆえに悪魔的生命力もと思える資本主義も永遠ではない、はじまりがあったのだから終わりもあると把握したのはよい、そしてその先の社会の構成原理が古代共同体の財の互酬の新たな形での蘇りと明言したのも面白い。だがそれを導き出す論理はまるで見えないのが致命的欠陥と、私には感じられる。ここが、人びとの生きかたやモラル的嗜好からだけでは弱いと感じるのだ。柄谷はなぜそう転換するのかの理由を述べていない。カントの定言命令では無理がある。
そうであるのだが、見田宗助の『現代社会はどこに向かうか』、広井良典の『グローバル定常化社会』などの錚々たる一級の論客たちが、今世紀になって以降、類似の趣旨を持つ著作を次々に出しているのはただごとではないと感じさせる。

私たちより10歳年長の60年安保世代である柄谷は、ブントの指導者の1人であった点で、唐牛健太郎、青木昌彦、西部邁たちとおなじ出自を持つ。
それぞれ、意味のある生き方をしてきたなと、感じる。
それにくらべ、70年安保世代であるわれわれは、ダメである。

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