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2018年09月19日08:51

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樋田淳也と、吉村昭の『破獄』

8月12日に富田林警察署の面会室から脱走した樋田が、1か月以上経つというのに、捕まらない。
その署長、府警本部長、中央の警察庁長官は焦りを日々深め、やきもきが、一時も去らないであろう。もしこの30歳の未決犯罪者が強姦、強盗などの凶悪犯罪でも起こせば、これらの幹部たちの首は即刻飛ぶ。
警察の必死の捜索の網をかいくぐって逃げ続ていることは愉快でないこともないが、樋田は反権力の政治確信犯などではなく、連続強制性交など弱者の女性を狙う卑劣な男なので、一刻も早くひっとらえねばならない。舞台となった警察署員、大阪府警警察官たちの仕事のずさん振りと職務の怠慢には、呆れる。
このところマスコミで連日報道された障害者の雇用の水増しにしても、監督下にある民間企業には偉そうに厳しく指示しながら自分たちの甘さは平気で頬かむりするこれらの役人たちの不誠実さは目に余る。
一昔前は、政治は三流、官僚と企業は一流などと日本が評されていたものだが、東芝、神戸製鋼、日産自動車、三菱マテリアルなど、かつては日本を代表した一流企業たちの不正も枚挙にいとまがない。政治家たちの二枚舌、公文書改ざんも咎められない途上国並みのモラルの低さといい、義務教育現場の一向になくならないいじめや教室の荒廃ぶりといい、ある社会が崩壊していくとはこんなものかという妙なリアリティを目の当たりにしている感がある。

私はこの樋田の逃亡ぶりを知るにつけ、数か月前に読んだばかりの吉村昭の『破獄』という小説が浮かんできた。
80年代に書かれたこれは、戦前、じつに四度までも刑務所からの脱獄を繰り返した伝説の破獄犯・佐久間清太郎の生涯と、その個々の脱獄の実態、脱獄後どのように警察の眼を潜り抜けて暮らしていたかの事実を克明に描写した記録小説である。
佐久間は自由に手や腕や足などの関節を外せ、おまけに足腰が丈夫で膂力にも富んでいたらしく、それらの特技で、刑務所長や脱獄を防ぐ工夫を専門とする役人たちや看守たちを欺いて、絶対にこの独房からなら脱獄不可能と防止側が自信を持っていた場所の部屋や高い天井の小窓からでも、まんまと脱獄を繰り返していた。
この本で驚かされ、読んでいて胸が悪くなるほどの思いをさせられるのは、刑務所内の囚人の規則を守らないこの佐久間への拷問的施錠ぶりだ。それは手と足への二重の拘束具だけでなく、作業中に拾った釘などからでも拘束を解く簡易の道具を作ってしまう佐久間の技や方法を防ぐ目的での拘束具のカギの箇所を固くはんだ付けしてしまって解けないようにする、などの工夫のおよそ非人間的な刑務所当局のしうちだ。だがそういう非人道的なしうちをされればされるほど、佐久間はそういう権力側を見返してやるとの意地で、さらに脱獄の独創的な方途を編み出し、それを繰り返した。
佐久間が脱獄後どのように暮らしていたかで納得させられるのは、北海道のあの凶悪重罪犯たちだけを閉じ込める名高い網走刑務所脱走後のそれである。佐久間は真冬の北海道で、道内にいくつも存在する炭鉱の廃鉱の奥深い穴の中に潜んでいたとのこと。真冬でも、そういう地中の場所は、逆に暖かいのだという。佐久間には、そういう知識もあったのである。
この長編で何かホッとする気持ちにさせられるのは、最後に東京都下の府中刑務所に収監させられたとき、そこの所長が独断で、その佐久間に、それまでの刑務所長たちとはまったく逆に、温かい、人間的な処遇をする方針で臨んだことだ。結果的に、この英断が成功し、以後、佐久間は脱獄をしなくなる。
それどころか逆に模範囚となって、ここで全刑期を終え、娑婆に出ることになるのだ。人間の心というものについて、あらためて、さまざまなことを考えさせる。




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