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2018年09月17日23:44

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ヤングパラダイム

■平成生まれは“マイカー”を知らない!? 昭和「バブル」世代のステータス
(TOKYO FM + - 09月17日 11:20)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=257&from=diary&id=5292646

僕の世代って、第二次べビーブームの昭和47年だから、ちょうど80年代少年期、90年代青春期になるわけだ。
つまり、子供の頃にバブルに浮かれた大人たちをみて育ち、急激にやってきた就職氷河期を一番最初に経験する世代。
そりゃもう、ウチの父親を初めとして、子供の頃は、大人たちは羽振りがよく活気に満ちていて、「いいなー大人って楽しそうだなー」って漠然と思っていた。80年代は、安っぽいものが大量生産、大量消費されていて、芸能界や音楽界などをみても、何かダサいものが大量生産されていたのだが、それが妙に面白かった。あの浮かれた感じが子供心にたまらなくよかったわけで、将来なんて、どんなにいい加減にやったって大金が手に入るという夢みたいなことを信じていた。
ところが、大人になるに従い、最初の難関が受験。もうベビーブーム世代で人は多いんだが、経済はバブル絶頂(落ち初めだったが)で全国的に家計に余裕があるため、猫も杓子も大学受験する。そのためどの大学も競争率が異常にあがってしまい、失礼ながら国士舘とか拓殖みたいなアホしかいかない大学でさえ偏差値があがって、難関校になる。
苦労して大学に入ったものの、今度は就職氷河期で就職難。
僕の年代は、その大学受験がそれが平成の最初だったかな。
でもって、バブルの余波はそれとなくあって、大学に入ると、どいつもこいつも、車、バイクとか、ギターとか、軽井沢でテニスとか、マリンスポーツとか、そんなのに現を抜かす連中ばかり。
僕もやはりカッコイ車とかバイクには憧れたなあ。。学生時代に自分で買えたのは中古の中型バイクだけだったが、中にはバイトで金をため、親にちょっと援助してもらったりして大学生の分際でマイカーを持つ奴とかいたもんだ。
少なくとも、免許は大学のうちに絶対に取るものだというのが常識になっていたし、先輩からは「大学時代はスキーとテニスは絶対にマスターしとけ」などとわけのわからんことを教えられたりしていた。
まあとにかく、物が溢れていた時代だったよなー。

でもって、最近の若者が、物欲があんまりないって話もよく聞くし、実際に自分の周りにいる若人たちも、免許持ってない、酒タバコやんない、彼女作らない、遊ばないなんてのはかなりいる。全てじゃないけど。
良い言い方すれば、合理的なんだろうなーと思う。
僕ンとこの会長(団塊の世代です)など、ちょっとでもいい服着たい、いい車乗りたい、いいもの食いたい、いい生活がしたい、というモチベーションが、仕事のモチベーションとなりひいては人間を豊にすると信じて疑わないし、実際にそういう生き方をしてきて成功した部類の人なんだが、確かにそれも一理あるとは思う。
ただねー。戦後から経済成長期、バブルにいたる過程での物質文明の進化って、異常だとは思う。僕が子供の頃、感じていたように、その伸びていく過程っていうのは、とても面白いのだろうし、働けば働くほど生活が豊になる実感あるのだろうし、団塊の世代やバブル経験世代がいまだにその頃の幻影を追ってしまうほどの魅力はあったのだろう。
ただ、そののびきった先には、必ず歪が生じている。
それが公害であったり、温暖化であったり、精神文化の荒廃であったりするんだろうけど、昨今の若者が物欲をなくして無気力になっていくのは、その歪を一気に背負わされていることに対する虚無感ではないのだろうか?
でも、人間て必要最低限の生活が出来て、日々ささいな幸せに暮らせれば、それなりに満足で良いんじゃないかと思う。良い言い方をすれば、「謙虚に生きる」ということなんだろうけど、昨今の無気力な虚無的若人たちは、自分でそういう表現ができないってだけで、ある意味、謙虚に生きている人たちとも言える。
とどのつまりは、「身の丈にあった幸福で満足」でそ?それってとても素晴らしいことなんじゃないのか?
私たち世代、というよりむしろその前の世代が、ガンガンに身の丈を超えた幸福を求めていった結果、次世代に本当に幸福な世の中を残せたのだろうか?
家族を筆頭とした共同体の崩壊や、自然環境の汚染。エネルギー枯渇問題。原発の核廃棄物の問題。温暖化に、異常気象。食糧自給率の低下。少子化問題・・・あげればキリがない。
昔、どっかのパンクバンドが「いらないものが多すぎる」って歌っていたが、実際、人間にとっていらないものが多すぎる。
車がなけりゃ、自転車でいい、自転車がなきゃ、歩けばいい。
電車だってあるし、バスだってある。移動手段なんぞいくらでもある。
本当に必要なところだけ、車走らせりゃいい。
無駄な建物だって多すぎる。
新国立競技場なんて本当に必要か?そもそも東京オリンピックなんてそんなにやりたいのか?
高速道路、新幹線、そこまで必要か?誰もいかないような過疎地にまで通す必要あるのか?
飯だって、きちんと自炊すれば、無駄な食糧消費しなくて済む。それ以前に、必要なものだけ自分たちだけで生産していれば、大量に食糧輸入する必要さえない。
パソコン、スマホ、携帯電話、そんなに必要か?テレビのチャンネルそんなに必要か?
人間なんて、情報は8個くらい同時が限界みたいだぞ。つまり、昔のアナログ時代の全国放送のチャンネル数分が限界だという。
で、若い人たちは、敏感にそれを感じ取っているのではないかと思う。
多分、ゆとり世代(今はゆとりじゃないのか?)は、きちんと思考する教育がされていないだろうから、自分の言葉でそれを語れないだけで、本能で感じ取った行動の選択肢が「運転免許なんて必要ないんじゃないの?」ってことなんだと思う。

昔、29年間ジャングルをさまよい、フィリピン・ルバング島から日本へ帰還を果たした旧日本軍の小野田寛郎さんの著作で読んだのだが、うろ覚えながら次のようなことを言っていた。
日本に帰還したときに、あまりにも自分の知っている日本と違ってて驚いた、と。まあそりゃそうだろう、29年もいなかったんだから・・と思ったが、何よりも、「いらないものが増えすぎている」と感じたそうだ。
結局、帰ってきた日本に居場所はなく、ブラジルへ渡って小野田自然塾を開くのだが、印象的だったのが、「便座は冷たいくらいがちょうどいい」って言ってたこと。
小野田さんからすれば、そのほうが体にも頭にも良いそうだ。
便座を温める機械なんてあったって、人間がダメになるばかりで、必要ないってことなんだろう。
平成生まれの若者たちも、きっとこの小野田さんのような心情に近いことだろう。
そして平成もまもなく終わり、新時代がやってくる。
新時代には、きっと小野田さんのように、真に逞しい人間が増えていくことだろう。
昭和パラダイムの終焉である。
もはや昭和後期世代の出る幕はありませんな。
昭和の皆さん、これから私たちは、せいぜい昭和ノスタルジーに浸って「昭和は良かった」と思い出を語り合いながら生きていきましょうよ。
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