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2018年09月14日08:39

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バックハウスのベーゼンドルファーから聴こえてくるもの

学生時代のLP盤から持ち、その後の人生でずっと聴き続けている音楽はそう多くはない。
そのうちの1つは、バックハウスのものである。
それは、以下のものだ。
・バッハリサイタル
・ハイドンリサイタル
・モーツァルトリサイタル
・ブラームスリサイタル
それ以外に勿論、むしろそのスペシャリストとして世間には知られているベートーヴェンの全ソナタががあるのだが、傑作の森時代のベートーヴェンに浅さ、安っぽさ、単調を否定しがたく感じて聴けなくなった30歳ごろ以降は、バックハウスでもその音楽を聴くことは少なくなった。みられるように、すべてドイツ音楽ばかりだ。
ベートーヴェンで聴くのは、最後の3つのソナタ以外では、鎖につながれたプロメテウスか、鬼界が島の俊寛の孤独のドラマといみじくもある人が評した長大なディアベリ変奏曲くらいか。
一貫してベーゼンドルファーを弾いたこのピアニストの音楽から聴こえてくるものは何か。
剛直。
端正。
廉潔。
私にはそのようなものに感じられる。
それは、愚直な生きかたを貫いてきた人物が、その人柄と軌跡に醸し出す”人格の匂い”のようなものだろうか。
それは時にどこまでもの奥行きを秘めた神秘の伽藍で、時に高貴と香気で、時に冴えたリリシズムで、時に世界と生そのものの、「人は、意識されない深淵の上に意識を持って立っている(フォイエルバッハ)」という畏怖、時に感傷でない寂寥である。
だがつねにその響きから聴こえてくるものが、偽りのない、わたしたちがそこからしか聴くことが出来ない”ある何ものか”の響きであることには、変わりがない。
人間とは不思議で神秘的な生きものだなと、そのベーゼンドルファーの音、声に触れるたびに、つねに感じる。
シゲティの無伴奏バッハとならんで、それは死ぬまで変わるまい。







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