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2018年09月07日12:27

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何故、そこで思考が止まるのだろうか。

家事は大変。

だからどうするの?って話です。
便利な家電製品が出来たのは、何故か? 家事が大変だからです。
性能が年々向上し、売れているのは何故か? 家事が大変だからです。

>>あんたの母親を、俺の母親を、この人がしてきた仕事を、これ以上、馬鹿にするな

良いセリフです。
ただ、このセリフを理解している人がどれだけいるのか?という疑問があります。

大変だからこそ、専業でやってくれる人が必要なのでは?
男女平等と言いながら、何故女性議員は、家事の分担を求めるのでしょうか。
求めるべきは、女性が働き、専業で主夫業を行う男性なのでは無いのでしょうか?

男女を逆転させろと言っているわけではありません。
それこそ無数にあるはずの選択肢の一つにしか過ぎませんよ。
専業主婦をする女性、働きながら、家事・育児を主とする女性、夫と応分負担する女性が居る中で、女性が家事・育児全般を男性に任せて、仕事に傾注すると言う話が耳に届いてきません。

主に家事をする女性を馬鹿にし蔑ろにしているのは、女性自身なのでは無いのでしょうか。

はっきり言っておきます。

仕事をしながら、家事を半分負担する。
これ、無理ですよ。

仕事の内容にもよりますが、時間給労働者で、残業なしと言うのであれば、恐らく可能かと思いますが、そうでも無ければ、仕事も家事も中途半端にしかなりませんよ。
家族を養うため、仕事に傾注すれば、どうしても時間が仕事よりにシフトしますって。
そこに、家事を割り当てたら、その人は、何時休むんです?
これは、男性にも女性にも置き換えて考えて良いと思うんですよ。
女性にから見てもそうですよね。
仮に、広告代理店の営業をしていたとして、収入はそれなりあったとして、家事に避ける時間をどれだけ取れるの?って話ですよ。
家事の為に、仕事の時間を削る余地があるのか?って話ですよ?

だったら、どうするのか?って話です。

ところが、その選択肢は、結婚しない。という一択なんですよねww

何処が、男女平等なの?

女性側が平等である事を拒否しているだけじゃないですか。
平等だと言うのであれば、何故、家事をやってくれる男性を求めないのですか?
これが、日本の男女平等の限界なんですよ。
女性保護の精神を残したまま、男女平等を推し進めているから歪になっているんです。
女性は、男性が養う物。
養われるのは不平等の温床になるから、女性の社会進出を推し進めます。

ここまでは良いですよ。わかりますよ?ここから先が問題です。

女性の社会進出に家事と育児が負担となります。
家事と育児を男性が半分受け持つべき!!

外資系で働く女性が、何故、エリート公務員と結婚したのでしょう。
2人で稼いでいると言わしめるほどの収入があるわけですよね?
エリート公務員と言うからには、1種を取って官庁勤めだと思うのですが、そういう人が、家事に時間を取られたら、組織の中でどのような扱いを受けるか分からないのでしょうか?

これが逆なら、男性が叩かれる局面ですよね。
女性が外資系でバリバリ働く女性で、その女性と結婚し、家事育児を負担させている。
何か言われれば、結婚したんだから当然でしょ?何て言った日には、だから、女性が社会に出られないんです!!と言う話なるのかと。
何故、女性は男性に聞かないのでしょうか?

結婚したら、仕事を辞めて家事に専念してもらえる?

と。
このセリフが言える女性は、結構な人数居ると思いますよ?
ところが、そういう女性に限って、仕事が忙しい男性と結婚したがるんですよね。



◇どうしてこんなに大変なの? 誰もが考えたい、もう一つの長時間労働「家事」のこと
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=140&from=diary&id=5278421

「家事なんて、いい家電があれば仕事の片手間にできるし、専業でいる意味あるのかな」。小説『対岸の家事』(朱野帰子/講談社)のセリフだ。女の敵は女とはよくいったもので、「家事くらいやれて当たり前」と無意識に思っている女性がいるから、いつまでたっても重荷をおろせない人が多いんじゃないかと思う。

 けっきょく、そのセリフを吐いたワーキングマザーの長野礼子は、出産後ににっちもさっちもいかなくなって、専業主婦の隣人――主人公である村上詩穂を頼ることとなった。詩穂は、母が死んだ14歳のときからずっと家事の一切を任されてきた主婦のエキスパートだ。父親は何もしなかった。「お前がいないと困る」というズルい甘えで詩穂を家事にしばりつけた。18歳になった詩穂は家を出て、結婚し、かわいい娘ができた今も父親とは没交渉である。

 そんな彼女が専業の道を選んだのは、片手間にできるようなことではないと知っていたからだ。子育てがタスクに加わればなおさら。けれど礼子や、外資企業に勤める妻にかわり育休をとったエリート公務員・中谷は、詩穂があたかも自立から逃れ、サボっているかのように言う。ほかでもない詩穂の夫・虎郎は「二人で稼いでいる」と言ってくれているのに(その中谷もけっきょくは詩穂に助けられるのだが)。さらには詩穂のもとに「主婦は社会のお荷物です。この世から消えてしまえ」なんて怪文書まで届いてしまう。どこかぼんやりしている詩穂を守るため、礼子と中谷は犯人探しに奔走する。

 仕事に追われていると、一人暮らしでさえ部屋はあっというまに汚くなるし、たまの休みが家事でつぶれてしまうなんてざらだ。ここに子育てが加わればどんな惨事を引き起こすだろう、専業とはいえ常に家をきれいに保って、弁当や食事を手作りしてくれた母はなんて偉大なんだろう、と思う。私なら、絶対無理だ。だったら仕事していたほうがずっと楽。それくらい家事が大変だと、日々の暮らしをととのえるのは重労働だと誰しもわかっているはずなのに、なぜだろう、いつのまにか“当たり前”に安住して忘れてしまうのは。

「あんたの母親を、俺の母親を、この人がしてきた仕事を、これ以上、馬鹿にするな」――ラストに中谷が放ったこの言葉は、家事を、主婦を、ないがしろにしがちなすべての読者に突き刺さる。簡単だと思っていた子育てと家事の無限ループにのみこまれて己を見失いかけた中谷のセリフだからこそ、よけいに。

『わたし、定時で帰ります。』で著者は「残業して当たり前」「無理して頑張ることこそが美徳」という風潮にクエスチョンを投げかけた。「定時で帰る=仕事の手を抜く」ではない。「専業主婦=働くことから逃げている」でも決してない。限られた時間で、自分にできることを、最大限の効率で行っていく――それが本当に“できる”ということなのに、なぜか人は倒れるまで無茶をする。だけど自分を追い詰めていく行為が正解であるはずがないのだ。

 だからといって、万人に通じる正解なんて存在しない。自分にとっていちばん大切なものを――自分自身を含めて守るために、それぞれの道を選んでいけばいいのだと胸を熱くさせられる小説だった。

文=立花もも

ダ・ヴィンチニュース
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