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2018年08月31日01:15

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I LOVE 軍隊式

今年の甲子園は、大阪桐蔭が当たり前のように優勝し、全国的に異様な盛り上がりをみせた金足農業を完膚なきまで叩き潰すという、非常に空気読めない大阪桐蔭という印象を残したラストだった。
まあ、金足旋風は結構面白くて、僕自身も地元の日大三高との試合でも、心の中では金足を応援していたりしたのだが、今年は異常な酷暑ということもあり、まあ場外のしたり顔連中があーだこーだわめていたのも印象的だった。
曰く、甲子園の文化はもう時代遅れだ。子供の体を守るために、もっと楽な環境にしてやるべきだ云々と。
昔から、高校野球はスパルタ式で、無条件坊主、練習の時は水が飲めない、先輩絶対、上から下への暴力が蔓延る、という、それがために、高校野球に憧れていても、そんな厳しい世界なんかとてもじゃないが無理なんてのもいて、最初からそこに行かないのもいる(実は私がそうでした。。。)
さてそんなんで、今年などは熱中症が心配されて、社会現象になるほど様々な人たちが、高校野球の旧体質を改善すべきだ!と声高に叫んでいた。中には、子供の将来を考え投球数を制限すべきだなんてのも騒がれていた。
確かに子供たちの未来を潰すのはいかがなもんかとも思うが、チョットマテ。
ああいった理不尽ともいうべき厳しい世界を切り抜けるからこそ、そこにドラマが生まれるわけだし、子供たちも強靭な肉体と精神が培われるんじゃないか?
それが全て正しいかどうかは僕にはわからない。
が、いろいろと思い出すと、僕の祖父母の世代って、考えてみりゃ、泣き言をほとんど言わなかった。団塊の父母の世代もしかり。
それは、祖父母の世代は、戦争を経験していて、現代などでは想像を絶する経験をしているからであろうし、父母の世代は、その戦争のツケを払わされ、何もない焼き野原を復興させていく義務を背負っていたからだろう。
僕のおばあちゃんなどは、ケガをして痛がって泣き言などいうと、「男の子が泣き言を言うな!おばあちゃんはね、そんな泣き言いったら軍医さんに『我慢こけ!』って怒られたものよ」とよく言っていた。
厳しい世界を経験し、忍耐力のある人間に育ったからといって、それが即、人格者になるとは思ってはいないが、少なくとも、メンタル面では我々の世代よりはるかに強かったんじゃないかなあ。

そういえば、ダルビッシュ有が「走り込み」について、ツイッターで「走り込みを行うことのメリットなど何もない。筋肉は落ちるし、疲れるだけだし、それによってピッチングの何かにメリットは全くない」という書き込みをして物議をかもした。
これは暗黙で旧態依然の軍隊式トレーニングを批判しているんだが、賛同する人も少なからずいる。高校野球における異常な走り込み妄想も、ダルビッシュの発言でかなりの波紋を呼んだことだと思う。
がしかし、本当にそうか?とも思う。
僕は、スポーツ科学の専門でもなければ真面目に学んできたわけじゃないので、科学的根拠を持っているわけではないのだが、経験上、走り込みをすることによって、窮地に立たされたときの踏ん張りは確かに利く。
それは、「あれだけ走ったんだから」という精神的な自信と、実際に最後の最後まで体力が持つ。体力負けしなければ、踏ん張り続けることで良い結果が生まれる。
僕の知人で、仕事などが原因で抑鬱神経症を患ってしまった人がいたんだが、彼は走り込みを行うことで、体力をつけ、体力から自信が生まれ心が安定し、抑鬱神経症を克服した。
これだけの効果があるのだ。経験的帰納的に、走り込みが無駄などとはとても思えない。
もちろん、ダルビッシュは何億に1人くらいの確率の才能の持ち主であるため、走り込みをせずとも結果は残せてしまうのであろうが、彼にとって必要ないからといって、それが「一般的に」必要ないとは思えない。
軍隊でも体育会系でも、わが国は徹底したスパルタ主義で強くなっていった歴史がある。例えば、大東亜戦争中にフィリピンで起こった「バターン死の行進」という事件があった。
これは日本軍がアメリカ人捕虜を熱帯地方の猛暑のなか、歩いて移動させ死人をたくさん出してしまった事件で、このことをアメリカは根に持って、戦後、相当日本人を糾弾したそうだが、この事件で面白いのは、日本軍もアメリカ人捕虜と一緒に同じ距離を歩いたそうだ。しかも何十キロもの背嚢を背負って!
同じことをして、日本軍からは死人が出ずに、アメリカ人捕虜は死んだ。
この違いは何かというと、物資不足の日本人は、従軍する際にどこでも「歩いて」移動していたからだそうだ。だからフィリピンのたった数十キロを歩くくらい屁でもない。
それだけ強靭な体力と精神力を日本軍は身につけていたわけだ。
メジャーリーガーであるダルビッシュは、きっとアメリカ的な合理性から「走り込み」不要論を唱えているんだろうが、これが高校球児たちに浸透してしまったら確実に彼らの体力、精神力は弱くなる。そのうち、エアコンの効いたドーム球場でしか試合が出来なくなってしまうだろう。
彼ら高校球児が、あれだけハイレベルな試合を、真夏の酷暑甲子園で演じることができるのは、理不尽ともいうべきスパルタ式訓練に耐え抜いてきたからであり、だからこそ数々のドラマが生まれるのだ。

そういえば、『ナンバの身体論』の著者・金田伸夫さん(桐朋高校バスケットボール部顧問)が面白いことを書いていた。
この人は、進学校の桐朋高校で弱小のバスケ部を、全国大会まで導いて有名になったのだが、そのやり方は、古武術の身体技法を取り入れたことにあった。
有名な古武術家の甲野義則に教えを受け、最小限の身体の使い方で体力を消耗することなく高いパフォーマンスを発揮する身体技法を生徒に叩き込んだのである。
ただ、これは今までのスポーツ科学の常識を覆す身体技法を取り入れるため、失敗する可能性も大いにあり、理論よりも個人が自分の身体と対話しながら作り上げていかねばならないため、誰もが取得できる標準的な代物ではないとのこと。
桐朋高校の生徒は、元来の頭の良さもあいまって、努力の仕方を間違えずに技を磨いたため、全国大会まで進むことができたのだが、じゃあ他のところで実戦したら、失敗することのほうが多かったそうだ。
そこで、金田さんは考え抜いた挙句、ひとつの結論をだしている。
すなわち、昔のような鬼軍曹がいて、無理やりシゴかれるやり方は、現代のおいては科学的ではないと否定されているが、実は理にかなっているのでは、と。
というのは、鬼軍曹のシゴきというのは、体力の限界まで無茶なことをさせるんだが、人間は限界を感じたときに身体がラクな選択肢を選ぶからだ。つまり、走って走って限界まで走らされて「もうダメだ、倒れる・・」となった時に、人間は本能で「この窮地を切り抜けるために、いかに体力を消耗せずに走るか」という動きを選択する。
このことによって、合理的で無駄のない身体技法がいつの間にか身についている。
結局、これが「強くなる」ということじゃないかなあと思う。
例えば、相撲の稽古なぞは、旧態依然としていて、ぶつかり稽古(いわゆる可愛がり)というのを、もう体力の限界がきて体が動かなくなってからもやるそうだが、これも体が動かなくて疲労困憊で死にそうな時に、本能が「これを切り抜けるために」という動きを選択しだすのではないかと思う。

何でも時代遅れだ、旧態依然だ、虐待だ!と叫んでいては、精神肉体両面において質がどんどん落ちてくるんじゃないか?
酷暑だからって、エアコンのガンガンきいた部屋にいるばかりでは、酷暑を克服できるはずがない。酷暑でも体が自然と冷却して、熱中症などにならないようになるには、酷暑の中での激しいトレーニングで克服するのが最も有効だろう。
マラソンの小出監督は、有森裕子や高橋尚子を鍛えるのに、酷暑のアメリカテキサス州などでトレーニングをさせたそうだ。
有森裕子などは、バルセロナで周りがみんな暑い暑い騒いでいるのに、1人涼しいって言ってウィンドブレーカーを羽織っていたという。その結果が2大会連続のメダル獲得である。

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