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2018年08月21日07:04

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8月20日

 子どもの素行に問題があった場合、親としてはこれを注意しなければならない。そして、しっかりと手を引いて正しい道へと連れて戻す必要がある。でも、あまり強引にやりすぎるのはよくないかもしれない。できれば時間をかけて、しっかりと目を見て忍耐強く説明をしていかなけらばならない。点滴が少しずつ滴下していくみたい。ただ、ほとんどの場合はそれがうまく伝わっていかない、まったく効果が表れてこないといった状況に直面する。いかなる言葉も実を結ばず受け流され、据え置かれ、ときにはぐちゃぐちゃのおもちゃ箱と一緒に詰め込まれる。
 そんなとき、ぼくたちのような未熟な親は、憤りをおぼえ、ついつい声を荒げてしまうことがある。もっと過激な人は、もしかするとここで尻をひっぱたくなどの直接的指導にシフトを変えるかもしれない。でも、いわずもがな暴力は多くの危険をともなう。それは幼い体やこころに深く突き刺さり、また別の問題が浮き上がることになる。大人の力はこどもの前では甚大だ。教育論が体罰を否定する以前に、まずぼくたちは体罰をふるう資格をもっていないはずだ。ボクサーがあれだけ厳密に階級を分けるのは大きな意味がある。
 であるからして、ぼくは、子どもがどうしても言うことを聞いてくれないときは、くすぐることにしている。怒るにしても、愉快というクッションをはさんでおく。脇の下にさっと手を入れ込んで、そこで高速に指を動かす。すると彼女たちは近所迷惑になるくらいの声をあげて笑う。しばらく続けると、笑い顔の中に少しずつ悲痛な色が染みでてきて、誰かに助けを求めるようになる。「もう食べ物を粗末にしないかい?」ぼくは聞く。でも子どもは答えない。ひいひいと悶絶しているだけだ。「おとうさんは今、玉子焼きを床に投げたことについて聞いているんだよ、なんで無視をするんだい」。子どもはのたうちまわりながら、「もうしません」と荒い呼気のわずかな切れ間に早口で言い切る。でもぼくは手をとめない。「聞こえないよ」と困った顔をしてみせる。こどもは終わりの見えない苦悶に発狂しかける。「もうやらないね?」ぼくは何度も念をおしてから、ようやく脇から手を引き抜いてその場を去る。
 しかしながらこれの難点はとてもはっきりとしていて、再犯率が高いことだ。彼女たちは近いうちに同じことを性懲りもなく繰り返すことになる。まるで反省の色が見受けられない。得てして子どもはそういった習性があるものだけど、「またこちょこちょしてみなよ」などと挑発してくるのはやはり問題と言える。舐められるというのではまったく話にならない。だから、こちらも趣向をこらす。最近あみだしたのはこれだ。まず、自分のはいているズボンに子どもの足をねじ込ませる。いわば下衣の2人羽織のように究極の密着状態をつくり、そこから脇腹をくすぐりまくる。子どもは逃げたくてもぼくのズボンの中で身動きがとれない。じたばたとするが、笑い転げることもできない。気の毒なことに悶絶しかできることがないのだ。彼女は出口がないことを知るとすぐさま降参にいたる。よほどたまらなかったのだろう。これはいいぞ、と思った。トウモロコシのカスが歯につまったやつをフッとぼくのポロシャツに吹き飛ばした娘をこらしめるにはちょうどいい。もし次に同様の悪ふざけをしたならば、ぼくはまたこれを執行するぞ、と宣告する。その際には、ついでに好きな男子の名前も聞き出すかもなと予告しておく。
 それでもまた、おなじことが起こる。はたまた形をかえてぼくの目の前にやってくる。先の見えない戦いがつづいていく。これからはなるべく太めのデニムを選んではくようにしたい
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