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2018年08月17日01:52

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国防とは

何だかんだと今年も終戦記念日が過ぎ去ってしまった。
今年は71年になるのか。もうだいぶ風化した感が否めないけど、今年は靖国参拝いくかどうかちょっと迷っている。去年は、職場の人が行きたいっていうのもあって、言ったんだよね、たしか。

さて、昭和もとっくにすぎ、平成も終わろうとしているこの時代。国際情勢は、あの時代と比べて大きく変わった。
冷戦が終わり世界のパワーバランスが崩壊してからもすでに30年くらい経つ。
僕は、国粋主義で歴史好きということもあり、大東亜戦争に歴史ロマンを思っている。まあ、世間でいうところの右向き思考であったんだけど、それでも昨今の、ネトウヨをはじめとする右傾化の動向には、かなりの嫌悪感を持っている。
ツラツラと国防ってなんだろうって考えるんだが、例えば、日本が核保有国になり、核の切り札で他国を威圧するという、昨今の本も読まないネットの都合の良い情報のみを鵜呑みにしているネトウヨ君たちの意見も、正論ちゃ正論だろう。
ただちに、憲法9条を廃止し、日本を軍備化、そして周辺を基地化して軍事力を高めるというのもありっちゃありだとは思う。
でも、「国を守りたい」って思いって一体なんだろうな・・
僕の中で、急激に都市化していったわが国の、自然を破壊して徹底したインフラ整備を行った風景が、実におぞましく、やりきれなく、日本という国がなくなっていく感覚を持っている。
僕は先祖代々、東京の人間なのだが、東京の人口集中化などによって、何もかもが埋め立てられた土地で育ったのだが、昭和初期くらいの東京の写真などを眺めていると、自然と人工物がほどよく調和された美しい街並みだなーって感じてたりする。
今でも、多少残された自然のエリアなどに行くと、「武蔵野の面影コース」などといって部分的に昔のままが保存されているのだが、東京は、こじんまりした涼やかな木々や湧水などがあり、心が表れる思いがする。
明治・大正の文学者の作品を読んでみても、当時の東京の様子がよくわかるが、本当の中心部を除いて、多摩地域はもちろんのこと、渋谷だの世田谷だの、は結構な田舎である。童謡「春の小川」の「♪春の小川はさらさらいくよ」の小川が、実は渋谷の現在の道玄坂あたりを流れる小川だと知って驚いたことがある。
当時の写真を何かの本でみたのだが、「これが渋谷か・・」と思えるくらいのどかな風景である。
江戸時代に遡ると、「江戸名所図会」などを眺めていると、日本橋なんかは、当時の中では都市化された最たる場所なのであるが、今の感覚からすると、こじんまりとした品のよいところで、江戸の名所にうたわれるのが納得できる。
日本橋といえば、前回の東京オリンピックの頃だったかちょっと記憶が定かではないのだが、首都高をドバーンと通してしまって、今では首都高に隠れて何もみえないくらい、下品な町になってしまっている。

僕が生まれた頃は、高度経済成長期の終わり頃で、東京は既にそんな場所になっていたのだが、僕は不思議と、高度経済成長期前の東京にずっと憧れていた。実際にみたこともないのに、どうしてそういうところにノスタルジアを持っていたのかは自分でもわからないのだが・・
江戸時代より最も都市化されていた東京でさえ、このようなのだから、わが国は、自然に恵まれ、四季折々の変化が楽しめる素晴らしい環境にあったことは想像に難くない。
本当に日本を守る、というのは、日本の山川草木を守る、ということなのではないかと思う。
例えば、桜の木を大量に伐採したため、排気ガスなどを吸収するものがなくなり、ひどい公害病が発生している、なんて話を聞いたこともある。
自然を壊すことによって、その反動で環境がおかしくなりひいては人体に影響を受けてしまうなんていうのは、小学生でもわかることだろう。
日本は、古代より自然崇拝の国であり、神道の主たる目的は、自然を慈しみ自然を守るということだと思う。
自然を神とみなし、自然を破壊したら神が猛り狂い災いをもたらすと考えてきたのも神道。神社は、そこに神を祭ることで、そのエリアを守る役割を果たしてきた。
明治の近代化とともに、国家神道として政治利用されるようになったのだが、あの時代、神社合祀政策により、多くの神社が廃止された。その結果、神社が守ってきた森などの自然が多く破壊されている。
これには、南方熊楠などがかなり反対したようだが、こういうことを「国を守る」といって良いのではないだろうか。
わが土地に昔からあるもの、自然や、文化・伝統、そういったものを維持していくという思い。先祖が守ってきたものを、自分の代も守って次世代へつなげていく。
大東亜戦争の究極の目的は、そこだったのではないだろうか?
それをどれだけの人が意識してきたかはわからないが、ユング的にいえば日本人の民族無意識に眠るものが、日本の自然・文化・伝統、そういったものを守ろうとした究極の姿が大東亜戦争だったのではないかと思うのです。
それは決して、排他・排外でもない、国際化社会に移り変わる時代に、押し寄せてくる欧米列強とその価値観に、わが国はわが国にあるものを守る、というのがあの戦争の一番の動機付けだったのではないか、、うまく説明はできないが、最近そんなことを感じたりする。

翻って現代に目を移すと、
右傾化する若者、ネトウヨ、ヘイトスピーチ、そういったものを見ていると、彼らはただただ排外的に、「侵略者を攻撃せよ」と言っているにすぎない。
つまり、彼ら、、彼らはアホすぎるので無視するとして、保守派の政治家や論客などが守ろうとしている日本は、すっかりアメリカンナイズされた文化、技術革新といいながら無駄なものを量産し、経済効果のみが史上価値の日本じゃないのか?
そのためには、無駄なものは全てぶっ壊してそこに基地を作り、中国などが攻めてきたら徹底的に攻撃する。
先日亡くなった、沖縄の翁長前知事などは、亡くなったにも関わらずSNSなどで「売国奴」呼ばわりしている奴がたくさんいて反吐が出そうなんだが、前知事の最も大きな取り組みであった辺野古埋め立て反対について、僕は当たり前のことを言っているだけじゃんかと思えてならない。
まあもともとは辺野古移設賛成だったのを覆したというわけのわからなさもあるが・・
僕もあまり詳しくはないんだが、辺野古はサンゴ礁のいるキレイな海で、ダイバーが良く訪れるスポットらしい。
単純に考えて、昔から、それこそ何億年前(?)からずっと存在する珊瑚の海を、いきなり埋めてて基地作って、なんていったら、沖縄の人、怒るに決まっているよね。
何億年(?)もの自然の結晶を、いともあっさりこの時代に破壊してしまう。
そこには無味乾燥な基地が残って、中国をバンバン攻撃する・・
アニミズム信仰の神道を持つ日本人ならば、海の神が猛り狂うって思うんじゃないか?
特に、沖縄に先祖代々住んでいた人たちは、守ろうとするのが当たり前じゃんか?
それを、国策に反するからってみんなで攻め立てる。
国防という現実をみていないバカどもが反対しているせいで中国の脅威にさらされっぱなしだ!と集団ヒステリーを起こしている。
もちろん、僕自身はじゃあ辺野古に基地を作らずに、どうやって中国の侵略を防ぐんだ!という問いに答えは持っていないんだけど、少なくとも、沖縄の人が沖縄の海を命がけで守る、その行為に対して、誰が非難できようか!
というか、日本人が守るものは、日本の国土そのものだ。
決して、それを奪うものは戦争だけじゃない。
人間の限りない物欲が、本来は絶対に壊しちゃいけないものを壊し続けて、戦後71年。
国際競争力をあげるといえば、何でも評価されていると思っている、物欲文明のバカども。

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