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2018年08月12日06:26

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8月11日

 退職する人のために色紙を用意し、みんなでメッセージを書き込んでいく。真ん中にはその人の似顔絵が描かれてある。よく特徴をつかんだ面白味のあるものだ。日を追うごとに書き込みは増え、だんだんと余白がなくなっていった。ただ、それに目を通してみると、どれも似たような文句ばかりが並び、いまいち惜別の情が伝わってこない。それに、色紙の中央あたりの目立つスペースが空白であるところにも、どこか遠慮がちな気風が見受けられる。これでは退職者が気持ちよく次のステップを踏むことができないのではないか、と少しばかり不安になる。
 さて、とぼくは筆をとる。ここでひとつ、斬新で愉快で、それからちょっぴり涙腺をつつくような一言を添えてみせようと思った。さながら文豪のようにぼくは眉間に皺をよせ、顎髭の剃りあとをなでた。頭を受信モードに切り替え、言葉がひゅっと降りてくるのを待つ。でも不思議なことに、いつまでたってもぼくのもとに閃きが訪れることはなかった。だからぼくは、お疲れ様でした、とごくシンプルにそこに書き記した。
 13年も働いてきた人だった。「できればこのままババアになるまで続けたいんだけどね」とその人は言った。退職は本人の意向ではなく、旦那さんの転勤という致し方ない事情があった。みんなそれをとても残念がり、涙ぐんだりもした。ぼくもずいぶんお世話になった人であるから、きちんとした形で挨拶をしなければならないなとは思っていた。でもなかなか面と向かう機会もなく、結局は言葉を交わすことなくその日を迎えてしまった。
 お疲れ様です、という一文はその色紙の中でもかなり短いものだった。彼女は今ごろ汽車の中でそれを眺めているかもしれない。そしてぼくのことを非常識な男だと思っているかもしれないし、また、その素っ気なさが彼女を傷つけている可能性だって否定できない。
 でもその時は、本当にそれしか書くことができなかった。あれに何かを付け足すというのは考えられず、不毛の大地をひたすらさまよっているような感じがした。素敵な言葉をおくりたいとは思うものの、なんもない。たぶんだけどこれは音楽的な資質と関連があるのではないかと思う。ぼくの中にはいい音が実らない。土壌からして何か欠陥があるように思えて仕方がない
 ちょっと前に送別会がカラオケであった。ぼくは、そこでマイクを向けられた時に拒絶をした。無視をしたといってもいいかもしれない。とても雰囲気を悪くしてしまった。本当に申し訳なくおもった。でもマイクは刃物だと思う。先端は向けないでほしい
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