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2018年08月03日10:01

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8月2日

 朝のスーパーはひどく混み合っていた。みんな気温が上がりきる前に買い物をすませてしまうつもりかもしれない。昨日に売れ残った割引商品を目当てにして来る人もいるだろうけど、それにしたって混みすぎていた。まるで示し合わせたかのようにレジ前に集まり、長い列を通路につくっていた。
 ぼくもその妙な吸引力に引き寄せられたうちのひとりだった。ただ、そこで一度立ち止まる。こういった時はどのレジが一番速く進むのかよく見極めた上で列につけるのがいい。並んでいる客のカゴをちらちら見つつ、レジ員のスキルをうかがった。ぼくは以前にレジのバイトをしていた経験があり、レジ員の商品の扱い方を見れば、だいたいの力量を知り得ることができるのだ。
 ふと右端に、眼帯をしたレジ員がいることに気が付いた。細身のおばさんだった。目になにかの病を抱えているのだろう。でも、片目の視力を制限されているにもかかわらずレジ打ちは速かった。独眼竜とは言いすぎだけど、実際に列をぐんぐん前へ進めていく。それに会計を読み上げる声を高々と響かせているのは、好調のしるしと見てとれる。ぼくは迷わずそこに並ぶことにした。
 しばらくぼおっとして順番が来るのを待っていると、ふいに思い出されることがあった。それはある知人から聞いた話だった。
 知人には付き合いはじめて間もない恋人がいた。知人は彼女のことが愛おしくてたまらなかった。その気持ちが充満してどうしようもなくなると、きわめて唐突に彼女からパンティを剥ぎ取って、これをかぶってみせた。知人はそれが愛情の表現としてまっとうな行為であると信じて疑わなかった。彼女は驚いて声を出すことができなかったが、ふとその滑稽な姿を見ているうちに噴き出して大笑いをするにいたった。その思い切った奇行は、少々遠慮がちだった彼女の壁を打ち砕くことになり、魂の距離をぐっと近づけた。そしてお互いに、この先もうまくやっていけるという確信めいたものを感じ取ることになった。
 ぼくはこの話を喫茶店で聞かされていたのだけれど、そのとき知人は片目に眼帯をしていた。ぼくはそれについては触れなかった。でも彼が愛を語れば語るほど、バイ菌の経路がそこにあるように見えてしかたなかった。
 列が進み、ぼくの番が来た。眼帯のレジ員は手際よく商品をスキャンしていく。ぼくは、ふとこのおばさんが自身のパンティをかぶっているところを想像しかけて、慌てて首を振った。しかし、そんな抵抗はものともせずに想像は洪水のようになだれ込んでくる。西日のさしこむ部屋でひとり、おばさんはパンティをかぶっている。何をするわけでもなく、じっと窓際にたたずみ、流れる景色を眺めている。居間に置いていた携帯電話の着信音が鳴る。でもおばさんはそこから動くことはない。そこに大した用件がないことを知っているみたいに。もしくは深い瞑想状態におちいっていて、どこか別の場所を旅しているのかもしれない。目が浸食されていくのと引き換えに、そこで重要な何かを目撃している。日は傾きかけている。おばさんはいつまでも動かない。
 ポイントカードを忘れてきてしまったことを伝えると、快くレシートにハンコを押してくれた。一週間以内ならば後付けは可能ですので。おばさんは微笑んで言う。お釣りの手渡し方もとても丁寧で、小銭が手ひらにさらさらとすべり落ちてきた。ぼくはありがとうございますと会釈をし、そしてお大事にしてくださいと胸の中で言う。

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