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2018年07月28日16:03

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野球の真髄

僕は、周囲からサッカー嫌いで知られているほど、サッカーをみない。現に全く面白くない。
その代わりでもないんだが、野球は好きなのである。
野球については日記でもよく書いているが、何故野球にこれほど魅せられるんだろうとたまに考えることがある。理由はいろいろと考え付くが、最たるものは、
「間を楽しむスポーツ」
につきるだろう。
明治頃、野球が日本に伝わってから、熱狂的に全国へ広がっていったスポーツ。昭和の初期に職業野球が開始され、国民的娯楽へと発展していったプロ野球。
これほど日本人に溶け込むということは、日本人が大いに好む「間」の中に真剣勝負が入り込むからじゃないかと思っている。
野球とは、9人対9人で行う団体競技ではあるが、個々の勝負は、1対1がメインだ。すなわち投手VS打者の18.44mの間で行われる真剣勝負。これはあたかも剣術とか相撲などと一致している。
そして9回まで時間無制限で行われる、数々の戦略・戦術のぶつかり合いもまた、日本人好みであろう。1呼吸ずつおきながら、次の一手を考える。結果に応じて、また次の一手を投じる。
私たち、素人であっても、野球の試合を観ながら、
「次はこういう手を打つべきだ」「さっきのプレーはああするべきだった」「ここでのピンチの場面はあの投手に変えるべきだった」
などと考え、また同じ野球好きとああでもないこうでもないと語りながら観戦するのも、野球の大きな楽しみである。
もちろん、そこに答えはないし、誰がどういう見方をしても良い。
プロのチームの首脳陣は、数々の実績や経験、我々の知らないチーム事情などを総合的に判断して、作戦を考え遂行していくわけだから、「お前ら素人がウダウダいってんじゃねーよ!」と思うにちがいない。だが、素人も、素人なりに一緒にグラウンドにいるつもりになって、あーだこーだ薀蓄を垂れるのも、野球の醍醐味なんだから、仕方ない。

というときに、1冊の本をみつけた。
『「野球」の真髄』(小林信也 集英社新書)
この作者は、スポーツ誌「Number」などに寄稿していた初老のスポーツライターなのだが、読んでいて本当に野球が好きなんだなと思わせる。
野球とはどういうゲームなのか、何故わが国にこれだけ浸透したのか、をこの人なりの視点で描いているんだが、原点は、少年時代に原っぱでやった野球のワクワク感に端を発している。
この人の年代は、ちょうど少年期がON時代で、野球が国民的娯楽の王道を極めた頃。子供たちは2人集まればそれぞれピッチャーとバッターで野球を始めてしまうくらいの、野球が日本中に浸透していた時代である。
その時代は、僕が少年の頃まで続いていて、僕などもマンションの駐車場などのスペースさえあれば、ゴムボールとプラスチックバットで野球を始めてしまうくらい好きだった。キャッチボールなど延々とそれこそ1日中やっていても飽きないし、野球をやらない時でも、ホームランを打つ自分を想像してひとり悦になったりしていた。
そういうところで、この作者と心がシンクロして非常に面白かったのだが、最終章に向かうにしたがって、なにやら怪しい内容になってきた。
最終章など、「絶対」と「相対」の世界を論じ始め、野球人気に陰りがでてきたのは、選手が相対の世界でしか野球をやっていないからだとかなんだとか・・
つまり、相手があってそれに勝とうとするのが「相対」。それに対して「絶対」とは自分と向き合う世界のことで、打率10割を目指すことだという。
そもそも、野球は3割打てれば好打者だが、何故7割失敗するのかに何故皆目を向けないのかと言い出す始末。
さらに、「戦わずして勝つ」の本質だとか言って、武士道だの山岡鉄舟だとかを持ち出してくるわ、「生きるか死ぬか」の境地から絶対の真理が生まれてくるだとか言い出すわ、もうメチャクチャなのである。
で、挙句には昔のプロ野球は良かった、長嶋は良かった、野球黎明期は皆が純粋に楽しんでいた、と言い出す始末で、現在の野球の質が落ちて、人気が失墜したと言い出し、再生への道は、上記の「戦わずして勝つ」の精神だ!となる。
まあここら辺が、スポーツライターの限界かなーとも思うが、この人は、生半可に武術などをかじっているため、なおさらそっちのほうへ行ってしまっている。
野球と武術の類似性を見出すことは、僕も嫌いじゃないんだが、それはそれとして、野球の質が落ちたとか人気が失墜したとか、嘘までついて現在の野球を貶める必要もないんじゃないのかなあ。。
だいたい、野球なんつーのはアメリカ発祥の単なる球戯でしかないわけだし、それを日本人なりにアレンジしてウケたってだけの話で。
この人は、野球人気が失墜したというのだが、本当にそうなの?
この本が出版されたのは2016年なので、そんなに前ではない。これがプロ野球再編問題でもめた2005年頃ならばまだ理解もできるが、僕が見る限り、野球人気は失墜したどころか、セ・パ両リーグにわたり人気がほぼ横ばいに分散され、観客動員数も格段に伸びている。
この人が言っているのは、「巨人の人気が失墜した」ということなのか?それならば理解できる。
確かに、戦後からバブル崩壊まではプロ野球は巨人一辺倒で、テレビ中継もほぼ巨人一色。人気も巨人がほぼ独占していて、パ・リーグなどは観客の数が数えられるほどに人気低迷していた。
だが、今は球界の努力も実り、テレビ中継のスタイルも、スカパーやケーブルテレビなど「みたいチャンネルは買う」に変わったことも相乗効果となり、セ・パともども地域に根付いたファンをきちんと獲得し、プロ野球全体は盛り上がっていると思う。
もちろん、サッカーだとかバスケットがプロ化されて、スポーツ自体の人気は分散したが、それ自体は、多くのスポーツを国民が楽しめるためむしろ良い方へ向かっていると言っていいだろう。
そんななかでも野球はまだまだ絶対的人気を誇り、今でもスポーツ誌やテレビなどのメディアでは野球を取り扱っている量は群を抜いているという。
それに、この人がいう質の低下って言っても、各球団でファンが均等になりつつある今、各球団にスター選手や職人気質の選手が揃っているし、育成システムやスカウティングなども昔に比べ格段に優れている。
国内で活躍しすぎる選手は、メジャーへ流出してしまうが、そのことが逆に国内での競争力を高め、今、どの試合をみてもレベルは非常に高い。(特にパ・リーグの選手の実力は、このままメジャーへチームごと持って行っても通用するのでは、くらいのレベルだ)

あと、「戦わずして勝つ」の本質を求め「絶対」の世界を目指せみたいなことを言っているが、これもトンチンカンすぎる意見。
どうも、今自分が夢中になっている武術につなげたいらしいのだが、野球などのスポーツって勝敗をもって最終的な結論を出すことが本質じゃんか。
自分の贔屓のチームを応援しにいって「勝ち負け関係ないですから」なんていったら、スポーツの目的を外れてしまい、何を楽しめばいいの?
「絶対」を追求した個々のプレーをみて、「ああ今日も素晴らしい絶対の境地のプレーがみれて満足。で勝ったのどっちだっけ?」て満足するわけですか?
もちろん、スーパープレーをみて得した気分にはなる。贔屓の選手が4打数4安打だったりするとチームが負けても「まあいいか」と思う場合もある。
でも、あくまでも目的は「勝つ瞬間がみたい!」が野球じゃんけ!
チームが勝つためにスーパープレイが出たりすればなお満足だが、時には泥仕合で、相手のミスで勝ったにせよ、まーそれはそれで勝ったから良しとするか、になるわけじゃんか。
あくまで「相対」の世界での勝った負けた、打った抑えたがあるから、僕ら野球ファンはドキドキするわけであって、そのために勝つ確率の高いプレイをする選手とか首脳陣を期待するわけであって、まずそこありきで、じゃあ年間通じて勝つためには、ミスがない鉄壁の守備だとか、確実にゲームメイクする先発ローテだとか、確実に抑える鉄壁の継投だとかを構築するわけだろ。

この小林信也という人は、プロフィールみると、「POPEYE」やら「Number」やら、それなりに俗っぽい雑誌のライターとかやっていたらしいが、どうもどっかのタイミングで武術家の弟子入りをして、トンデモライターになってしまったようだ・・
まーご自分の野球ロマンティシズムを押し付けたいのなら「好きにしてください」としか言いようがないが、仮にもスポーツライターさんが根拠のない嘘を書いちゃいかんだろー・・

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