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2018年07月21日12:01

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LGBTQ・・・・・Q????

「Q」って何@@;と思ったら、

Questioning(クエスチョニング)の事だとか。日本では「X」と表記される事もあるそうです。
で、

クエスチョニングとは、自身の性自認や性的指向が定まっていない人のことを指します。
Xジェンダーは既存の性の在り方に左右されず、自分らしさを表すために、男性性と女性性をうまくカスタマイズしている人を主に指す傾向にあります。

・・・・それって、人権を認める必要があるの?
定まって無ければ、体の性別でいいんじゃない?
自らの表現の為に性別を自称するってwwww

Tは理解するように努めていますよ。
そう言う事もあるだろう。体の性と、心の性とにギャップがあり、苦しいのも理解できなくはなく、そこを切り捨てるのではなく拾い上げる事について、ある程度許容はしますよ。

ただ、

自らの意思で、体と心の性を決めるのっておかしくない?
逆に、LGBを受け入れるから、QだのXだのが出て来るのでは??

Tは、病気。

LGBQ若しくはLGBXは性的嗜好。

こう切り離してしまえば?
性的嗜好なんですから、SMやスカトロ、或いは、ピーピング、フェチと同じでしょ?
何で人権問題に発展させるのですかね?
肯定も否定もしませんから、ひっそりと自らの性的嗜好を楽しんでください。という話でよいのでは?

SMSPF

とか言い出して、
Sなんです。ですから私の行為は暴行ではありません。同じ嗜好の人しか相手にしないのに、口にすると避けられるって偏見ですよね!!
Mです。排泄物を食べるのはスカトロで、Mではありません。なのに一括りにするのって、酷いと思いませんか?もっとMを正しく理解し、偏見のない世の中を望みます。
スカトロです。誰にも迷惑を掛けていませんし、人目が付くところで行為に及んでいるわけでも無いのに、それを口にすると忌み嫌われるんです。ひっそりとするSEXと何ら変わりもないのに、これは差別です!!
Pです。犯罪行為をしたいわけじゃないんです。ただ、単に見るだけで、自分で干渉するのが目的で撮影したにも関わらず、犯罪扱いされるのって納得がいきません。
Fです。単に特定の部位が好きなだけなのに、変態呼ばわりされます。おっぱい好きならおっぱい聖人として崇められるのに、肛門だとあからさまに眉を顰められます。これって差別ですよね?

という主張を始めたら、受け入れるのですか?
そういう話だと思うんですよね。
もういい加減にしましょうよ。

体の性と心の性が違うのは、勘違い。

性別の事で何某かのトラウマがあり、別の性になりたいと思っている人が大半。
心の性と体の性は一致しているけど、性の対象まで一致しているのは、単に嗜好の問題。
心と体の性が一致し、性の対象がどちらでも良いのは、単なる変態。

但し、心と体の性が一致しないで悩んでいる人達が居るとう事実を受け入れる。

そのうえで、何ができ、何をして良いのか考える。

そういう風にしないと、おかしくなる一方ですって。
心と体の性が一致しないという話は、医学的な話ではなく、精神的な話ですよ。
言ってしまえば、魂の性と肉体の性が一致しないという話ですよ?
もはや、宗教の話になってしまうんですがね。

因みに、興味が無いので、本文には触れません。


■LGBTQのキャラクターは「誰が演じるべきか」。ハリウッドで大論争に
(HARBOR BUSINESS Online - 07月21日 09:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=219&from=diary&id=5209676

 LGBTQがテーマの映画と言われて、どの作品を思い浮かべるだろうか? これまで『フィラデルフィア』のトム・ハンクス、『ダラス・バイヤーズ・クラブ』のジャレッド・レトなど、多くの役者たちがLGBTQを演じてアカデミー賞などに輝いてきた。しかし、そんな時代が終わるかもしれない。

◆登場人物のセクシュアリティを“削除”

 今年に入ってから、ハリウッドではLGBTQに関連した議論が活発になっている。まずは『ハリー・ポッター』シリーズのスピンオフ作品『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』だ。

 同作品では人気キャラクターであるアルバス・ダンブルドアの若き日が描かれる予定となっているのだが、実はこのダンブルドアがクィアであると原作者のJ・K・ローリングが明言したのだ。一般にクィアとは自身の性的志向が定まっていない人とされている。『ハリポタ』ファンの間では以前からダンブルドアがゲイなのではないか? という意見が多く出ており、それに対して原作者が具体的にセクシュアリティを明かしたという流れだ。

 ところが、今年1月に『ファンタスティック・ビースト〜』の監督デヴィッド・イェーツが、同作でダンブルドアのクィアとしてのセクシュアリティは触れられないと語ったのだ。これに対して、ファンからは「セクシュアリティを意図的に削除している!」と非難が噴出する事態に……。

 さらには『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズなどで知られる重鎮俳優、イアン・マッケランがこの問題について意見を発表。79歳のマッケランはゲイであることをカミングアウトしており、たびたびLGBTQが映画界で不当に扱われていると発言してきた人物だ。

 『タイムアウト』による取材で、ダンブルドアのセクシュアリティが明確にされないと伝えられたマッケランはこう答えている。

「そうなの? それは残念だね。まあ誰もハリウッドに社会的な意見は期待してないでしょう。最近ようやく世界には黒人がいるって気づいたぐらいだから。ハリウッドはその歴史のなかで、あらゆる点から女性を虐待してきたし。(ハリウッドの業界人にとって)ゲイの男性なんて存在していないんだよ。(マッケランが出演した)『ゴッド&モンスター』はゲイの人がいるとハリウッドが認め始めたキッカケだと思う。ハリウッドの半分はゲイだっていうのに」

 ご存じのかたも多いだろうが、ヒーロー大作の『ブラックパンサー』や『ゲット・アウト』など、ここ数年ハリウッドでは黒人スタッフによって製作された映画が大ヒットしている。これまでは「黒人が作った映画は黒人にしかウケない」といった偏見が蔓延していたが、それが覆ったのはつい最近のことだ。

 そういったハリウッドのマイノリティに対する扱いを皮肉りながら、LGBTQについての厳しい現状を訴えていたのである。

 賛否両論出ている『ファンタスティック・ビースト〜』問題。渦中のキャラクターを演じたジュード・ロウは、監督の判断について『エンターテイメント・ウィークリー』のインタビューでこう答えている。

「(原作者の)ジョー・ローリングは何年か前にダンブルドアがゲイ(実際はクィア)だと明かした。実は僕も彼女にそれを聞いて、ゲイだと言っていたよ。だけど、必ずしもセクシュアリティがその人間を定義するわけじゃない。彼にはいろんな面があるんだ。問題となっているのはダンブルドアのセクシュアリティがどのくらい映画のなかで明かされるかだと思う。この映画はまだシリーズの2作目だ。ジョーの書き方で素晴らしいのは、彼女がキャラクターを解き明かしていく過程なんだよ。時間をかけて心の内まで剥き出していくんだ。この映画では、まだ観客がアルバス(・ダンブルドア)を知りはじめる段階で、その先にはもっと多くのものが待っている。この映画の冒頭では彼の過去について少しだけ知らされるが、登場人物と彼らの関係は自然に明かされていくんだ。それを明かしていくことが楽しみだよ。すべてをいっぺんには明かさないんだ」

 ロウは同作がセクシュアリティを“削除”したのではなく、あくまで話の展開上触れられていないだけだと主張している。続編が作られることになれば、登場人物のアイデンティティにもよりスポットが当たることになりそうだ。

◆スカーレット・ヨハンソンが大炎上

 そして、もう一本話題になっているのが、スカーレット・ヨハンソンがトランスジェンダーの男性を演じる予定だった『ラブ&タグ』だ。女性として生まれながら、自身を男性として認識していた人物がテーマとなっているのだが、このトランスジェンダー(以下、トランス)の役をシスジェンダー(身体的性別と性同一性が一致している人)が演じることに、批判が殺到したのだ。

 トランスでない役者は、トランスを演じるべきではない……。『NME』を筆頭に、多くのメディアがこの議論を取り上げているが、ヨハンソンが次の声明を出したことで、批判のボルテージはさらにわき上がった。

「ジェフリー・タンバー、ジャレッド・レト、フェリシティ・ハフマンに意見を聞いてみればいい」

 ヨハンソンが挙げた役者の名前は、いずれもセクシュアル・マイノリティを演じたシスジェンダーの役者たち。「なんで私だけ?」といったニュアンスが感じられたことで、火に油を注ぐ結果となったのだ。結局、ヨハンソンは降板。『Out.com』で次のような声明を出すこととなった。

「トランスジェンダーの人々に対する文化的理解は進歩し続けています。キャスティングについての最初の声明を出してから、彼らのコミュニティから多くを学んで、私の発言が無神経だったと気づきました。トランスジェンダーのコミュニティには尊敬と愛を持っていますし、ハリウッドで包容性に関しての議論が続いていることを嬉しく思います」

 現在、『ラグ&タグ』は大物女優のヨハンセンが降板したことで、製作そのものが危ぶまれている。

 演じる役と役者の性的志向は一致させるべき……! そのとおり、トランスジェンダー女優を起用し、アカデミー賞を受賞した監督がいる。チリ人のセバスチャン・レリオだ。

 しかし、『ファンタスティック・ウーマン』で外国語映画賞を獲得した彼は、シスジェンダーをトランス役でキャスティングすることについて、「芸術的にも、倫理的にも議論の余地はあるが、禁止されるべきではない」と語っている。

 今回、議論を呼んだヨハンセンのキャスティングについては、トランス俳優たちからの「トランスの仕事を奪うことになる」との批判があがっていた。しかし、レリオ監督はそういった意見について、『ハリウッド・レポーター』にこう述べている。

「私が『ファンタスティック・ウーマン』でダニエラ・ベガをマリーナ役にしようと思ったのは、芸術的な自由に基づいたことであって、ポリティカル・コレクトネスによるものではありません。私は世間にトランス役はトランスの役者が演じるべきだと言ったわけじゃない。ただ自分の映画にとってふさわしく感じたことをやっただけです」

 たしかにレリオ監督はトランス役に実際トランスである役者を起用した。しかし、それは社会や倫理的に“正しい”からではなく、あくまで作品に対してベストな選択であるという判断からだったのだ。

◆芸術家の自由を制限しているという意見も

 また、ヨハンソンのキャスティングにトランス側から非難が起きたことについて、レリオ監督はこう語っている。

「もし私がトランス役はトランスの役者だけが演じるべきだと言ったら、それはダニエラ・ベガがシスジェンダーの役を演じるべきではないという意味も含むことになります」

 たしかに、演じるキャラクターと役者の性的志向が一致しなければいけないのなら、ゲイの役者はゲイ役、レズビアンの役者はレズビアン役しか演じられないことになる。それは役者に、観客に、そして社会にとって、はたしていいことなのだろうか?

「社会でもっとも大事な財産のひとつである、芸術家の自由を制限するような考えに加わったり、支援することはありえません。芸術の自由が脅かされるというのは、社会が独裁主義的になっている徴候です。もしくはファシズムの臭いがしはじめる行動や流れに向かっています」

 ハリウッドに限らず、現実社会でもセクシュアル・マイノリティと呼ばれるLGBTQの人々が、差別や偏見に晒されていることは間違いない。そういったテーマやアイデンティティをどのように表現していくべきなのか? まだまだ議論は収まりそうにない。

<取材・文・訳/林泰人>
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