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2018年06月30日17:30

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移民減少へEU外の第三国に施設 首脳会議、設置で一致

■移民減少へEU外の第三国に施設 首脳会議、設置で一致
(朝日新聞デジタル - 06月30日 12:31)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5179345

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29日に閉幕した欧州連合(EU)の首脳会議(サミット)は、難民・移民受け入れ対策の抜本的な改革は見送ったが、EU外の第三国に難民・移民の流入を減らす施設を設置する方針では一致した。アフリカから地中海を縦断する難民・移民の「玄関口」になっているイタリアの負担軽減要求を各国がのんだ。だが、施設を受け入れる国のあてはなく、実現性は不透明だ。


 「欧州がより連帯し、責任を持つ」。イタリアのコンテ首相は会議終了後、「成果」をそう自賛した。


 EUでは、難民申請者が最初に到着した国が申請手続きに責任を負うと定める「ダブリン規則」があり、イタリアは受け入れ負担に反発している。コンテ氏は今回、自国の負担軽減が認められない限り他の議題で合意するのを拒否。その結果、EU外に難民・移民の流入を減らす施設の設置を検討するほか、難民申請者の管理収容施設を加盟国が自主設置することで妥協に至った。
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移民といってもEUが直面しているのは10や100という数ではない。数万を超えていまも増加しており、数十万にもなるといわれる。

サンマリノが人口4万人、アイスランドが36万人だから、それはひとつの国家が生まれるに等しい。

すると移民問題とは、人種や文化を超えて、国家という概念を揺さぶる問題と思われる。人は群れの状態から集団を作った。最初は村単位であったにしても、縄文人からして自分たちの村に強固な堀と柵を設けていた。

この外部と内部の認識が拡大してゆけば、現代国家に行き着く。よって、国家は自ずと、人民、民衆という単位では統一されていなければならない。逆に、そのために王権や元首というものが、近代国家以降も手放せなかったという話だ。

移民は、そのような国家形成とは異なるものである。アメリカでさえ、元は白人の国家であって、リンカーンであれ、黒人をアメリカに組み込む考えはなく、どこかに独自の国家を作るべきと考えていたし、インディアンに至っては絶滅上等という考えであった。

すると多民族国家、サラダボールと自認するアメリカでさえも、コミュニティとしての多民族は実現していない。すると、この問題の核心にあるのは、国家という制度は移民を前提とした作りになっていないということだ。

そこに人道主義から移民を受け入れるという考えは、極めて正しい。だがその後の混乱を思えば、よい未来とは思えない。

移民の人のほとんどがよき人だとしても、何か犯罪が起きれば、移民だからと理由にされる。それはちょうど同じ失敗をしても、やっぱりこれだから女は、と言われるのとまったく同じ構図だ。

水は低い方に流れるように、人はもっとも簡単な理由に飛びつくものである。これはオッカムのカミソリとは関係ない話のはずだ。

本当の原因を究明するくらいなら、最も著しい違いに注目し、それを原因とする。その違いが、こうなった理由であるということで、話は簡単になる。そういう最も簡単な理由に飛びついて、いくつもの問題を処理してきた。

難民問題は、これについて最も顕著な例である。そしてヨーロッパが隣国の問題に介入しないことが根本の原因と思えるが、内政不干渉という建前がこれを放置させる。よって難民/移民問題とは、単なる対処療法に過ぎない。

だが、人の命が100年程度のため、内乱が50年も続けば、それは移民ではない。もう国民である。もし移民が数年という期間が区切られているなら問題はずっと簡単なはずだ。いつ終わるかの見通しが立たないから問題は大きくなる。人数も増加する。

広々とした荒地でもあるのなら、そこに押し込めてしまえばいい。もしどこかに無人島があればそこに送り込む話もあるだろう。難民のひとらにひとつの国家を与えれば、問題は解決するはずだ。だが、そんな場所があるはずもない。

結局、ヨーロッパの安定のためには周辺地域の安定が欠かせない。そういう意識に立てばヨーロッパは積極的に海外の和平、または武力鎮圧のために打って出るしかなくなるだろう。少なくとも、物理的な限界が来ている。

アフリカの住むすべての人がヨーロッパに移住するまで続ける気か、と問われたら返す言葉もないだろう。だが、問題を解決するためには、各地の紛争についてよく知る必要がある。そこに妥協を促す必要もある。

大量の移民や大移動が発生しても平和裏に融和した歴史もある。だが、国家が分裂すれば、また民族というまとまりで国家が誕生する。アレクサンドロスの大統一を実現したところで、多数の国家に分裂する歴史は疑いようがない。

移民の人たちもそれぞれのバックグランドを失うことなくその場に住むだろう。我々は外来種を激しく駆除しようとするが、実はこういうった動物たちの振る舞いを参考にするしかないのかも知れない。

すると一民族一国家が我々の相応しい世界観か、という問題が突き付けられる。多様性を言いつつも、民族はひとつであるのか。それとも10%程度の部外者を抱える構成が最も良いのではないか、という気もしないではない。

多数派と少数派の混在はどの国家も抱える問題である。またこれまでの少数派が多数派に変わりつつある現実と対面するアメリカのような国もある。

ヨーロッパが対面している問題とは、要は建前と本音をすべてさらけ出す事だと思われる。これ以上、自分たちを偽るな、これ以上は不可能だ、という所に追いつめられるべきなんだろう。それを世界に先駆けてやってくれるのは有難い。

中世であるなら、多数派によって国家は緩やかに置き換わりができた。近代国家はこの流動性に乏しいのかも知れない。それ故に解決できない問題があるのかも知れない。多数の移民が突き詰めるものは、国家の分裂という終着駅であろう。我々が手にしている現代兵器が、この問題を無残なものにする。

我々はいまだに民族という幻想によってしか国家を語れない。この結論を世界は拒否できるだろうか。

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