【プログラム 】
1 グラズノフ: 組曲”中世より”Op.79より「前奏曲」
2 チャイコフスキー: ピアノ協奏曲第1番変ロ短調Op.23
***** 休 憩 *****
3 ストラヴィンスキー: バレエ組曲「火の鳥」(1945年版)
(アンコール)
モーツァルト: ”ピアノ・ソナタ第11番”より「第3楽章トルコ行進曲」
(ピアノ独奏)
チャイコフスキー: 劇付随音楽”雪娘”より「道化師の踊り」
反田 恭平(ピアノ独奏)
ロシア・ナショナル管弦楽団(管弦楽)
ミハイル・プレトニョフ(指揮)
2018年6月17日(日),15:00開演,札幌コンサートホール
このホールでのプレトニョフ&ロシア・ナショナル管弦楽団(RNO)の演奏会は久し振りである。反田恭平をソリストに迎えた大きな理由のひとつは,彼の驚くべき集客力に頼ったためだろう。8割以上の席は埋まっていたと思う。RNOの公演でも,人気ソリストに頼らなければ採算割れにつながりかねないのか。
演奏会終了後,反田恭平のサイン会があり,ホワイエにはこれまで見たこともないような長蛇の列ができていた。このピアニストの人気の高さを物語る証である。しかし,率直なところ,彼の演奏を好きになれない。おそらく,彼との相性は最悪の部類なのだろう。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を聴いている間,ステージの上に異なる二つの時空が並存しているような感覚をおぼえた。それくらいピアノ独奏とオーケストラが異質で溶けあうには程遠い演奏だった。指揮者とオケはソロに合わせようと必死であったが,壁は最後まで崩れることはなかった。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲の演奏を主導するのは独奏ピアノで,そのテンポが異様に遅く感じられる。ピアニストはこの曲をかなり慎重かつ用心深く弾いていた。まるでブラームスのようなテンポで,チャイコフスキーのそれではない。
ゆっくりし過ぎたテンポとも関係があるが,音楽がスムーズに流れない。演奏が間延びしているようにきこえることに加え,曲がぶつ切りになったようにさえきこえる。この協奏曲をスケールの大きな作品として表現したかったのだろうが,その副作用はあまりにも大きい。演奏者自身の意図を実現するだけの表現力を持ち合わせていないのではないだろうか。
また,タッチが浅いので音の深みが不十分だ。そして,ピアノの音の粒立ちが悪く,それぞれの音の粒も揃っていない。チャイコフスキーのピアノ・コンチェルトを弾いて,深みのある音を出せないのは致命的である。それをカバーしようとしていろんな工夫をしていることは分かるが,そうした努力がことごとく不発に終わっている。そのことが聴く側の神経を苛立たせる。
グラズノフの組曲「中世より」は聴いたことのある作品であるが,あまり印象に残ってはいない。また,予習もしていかなかったので,この曲に対するコメントは控える。
ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」は,現代オーケストラによる標準的な解釈と表現の演奏といっていいだろう。5日前に聴いたピリオード楽器による「春の祭典」とは対照的に,煌びやかな音がホール内を飛び交う。管楽器のソロで小さいキズがいくつかあったが,そのことにあまり拘泥わらない指揮者やオケの姿勢は評価できる。神経質になり過ぎると,演奏が萎縮してしまうので。
落とし気味のテンポで,作品のディテールを克明に描こうとするアプローチのようである。だが,もう少し勢いをつけて,一気呵成に駆け抜けるような演奏がこの作品にはふさわしいと思うのだが。そして,ヴィルトゥオージティを披瀝する場面が少なかったのも惜しまれる。
この日のプレトニョフに以前のような覇気がなかったように感じた。かつてはオーケストラの機能性を発揮させるような振り方をしていたように記憶しているのだが,無難にまとめ上げることで良しとする姿勢が顕著だった。そして,演奏会前半のピアノ協奏曲でも,ソリストを煽るような伴奏をする選択肢もあったはず。チャイコフスキーが思いの外つまらなかった責任の一端は指揮者にもあるようだ。
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