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2018年06月04日22:22

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エアガンで男児撃つ? 男ら逮捕

エアガンで男児撃つ? 男ら逮捕
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5140828

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男児(8)をエアガンで撃ち、軽傷を負わせたとして滋賀県警大津署は4日、同県野洲市小篠原の塗装工、細田直希容疑者(26)と、内縁の妻の小紫陽子容疑者(38)を傷害容疑で逮捕した。男児は小紫容疑者の次男で、同署は両容疑者の認否を明らかにしていない。


 逮捕容疑は、細田容疑者は先月30日、大津市唐崎1の小紫容疑者の自宅で男児に向けてライフル型のエアガンを数発撃ち、左膝と右肩にすり傷など全治9日間の軽傷を負わせたとされる。その場にいた小紫容疑者は、射撃を止めなかったとしている。


 男児が通う小学校がけがに気づき、連絡を受けた県の子ども家庭相談センターが大津署に通報していた。【小西雄介】
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僕はこういう人間はさっさと殺すに限ると考えるが、その法的根拠を思いつくのが難しい。

まずなせ殺すべきかと言えば、子供をエアガンで撃つような人間は社会の益が期待できないからである。一方で、こういう人間の存在は、集団に対する不審を高める。人々の間で疑心暗鬼を生ずる。

そういう負の効果を考えれば社会から追放すべきなのである。そのひとつに拘置所や刑務所があるのだが、ではこの程度の人間は2年や3年で社会に出てきて、更生が期待できるか。

誓っても良いが0である。つまり益がない。

しかし、もちろん、菊池寛の『恩讐の彼方に』のような例もあるから、実はこの論は完全ではない。つまり根拠がない。

さらに言えば、益のない人間は殺してもいいのか、という話になる。もし、二重規範を避けるならば、それを否と否定できないはずである。だが、諾と肯定するのは、恐らく正しくない。

益のない人間といわれて、反論できる人がどこにいるか。お前が勝手にそう思っているだけ、と指摘されたらそれで終わりである。その場合に、殺されることを受け入れるべきか。それもよい結論になりそうにない。

だが、これは犯罪者の話である。元来、生物において子供への犯罪はひどく嫌われる。小児愛者は、刑務所に入ってもリンチされるとアメリカのドラマでも言っていた。極悪の犯罪者の中にさえ、犯罪への嫌悪があるのである。不思議である。

では子供への犯罪こそは憎むべきという短絡な結論はない。それでは子供を持たない人は、持つ人よりも価値が小さいという結論に直結する。つまり、子供だから、という理由もやはり筋が悪いのである。

ところで、多くの人が認めるように、これはこれらの犯罪者を人間として扱うから問題なのであって、こんなの人間の姿をした何か別の動物である、と定義すれば、裁判の必要もなく、街に降りてきた熊と同様に処分できる。

だが、僕は熊を殺すのには反対派であるから、人間のエゴイズムというものに対して懐疑派である。しかし、そうするとさらに、この凶悪な犯罪者を死に至らしめる根拠がなくなってしまう。

いっそ、自分がスターリンならいいのに。そうしたら気に食わないから殺す、顔が見たくないからシベリアに送る。そうできるのに…

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