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2018年05月25日21:33

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5月25日

妻が中学生のころ、クラスのごく一部で、意図的に気絶をさせ合う遊びが流行ったらしい。胸部を強烈に叩くことで意識をどこかへ飛ばし、その浮遊感を体験する。もちろんそれは下手をすれば死にもいたる極めて危険なもので、あまりにも無知で浅はかな行為だ。
 ある休み時間、妻は、あなたも参加してみないかと、友人から声をかけられた。妻は気が向かずに、てきとうな理由をつけて断った。でも、友人はなかなか退こうしない。あなたにもやってもらいたいのよ、まずはあたしがやられる方になるからさ、と友人は言った。やたらと積極的なのは、彼女にすでに何度かの経験があり、その奇妙なスリルに味をしめていたからだった。それに、度胸では他のだれよりも優位にたっているという自負もある。けっきょく妻は押し切られて、しぶしぶ友人の胸を叩くことになった。
 妻は、気絶することも気絶させることもやったことはなかった。友人たちがそれに興じているのを遠目から見たことはあったけれど、その現実ばなれした光景には恐怖をおぼえ、近寄らないようにしていた。だから、なぜ自分が指名をされなければならないのか、納得がいかなかった。こんなことをやって何が楽しいんだろう。やりたい人たちだけで勝手にやっていればいいのに。そういった不満げな感情で、妻の右手は揺れていた。そしてそれは、えい!と妻が殴りつけたポイントに、いくらかの誤差を生じさせることになった。友人はバタンと背中から倒れると、すぐにも起き上がり、どこか遠くを見ながらハッハーと笑った。この時点でいつもと違うことが知れたけれど、周りにいた人にはどうすることもできない。友人は、しばらく教室の中を楽しそうに歩き回った。口笛の聞こえてきそうな軽快な足取りで、じぐざぐと机の間を縫っていく。そうして友人は、ホンダという痩せた男子の席にすわりこむ。つくえに頬杖をつき、一言、「きっと、愛しすぎたから」とつぶやいた。それが中森明菜の「二人静」の出だしだと思い当たるも、もうだれにも止められない。友人は、眉根にしわを寄せて、ひとしきりそれを歌い上げた。熱唱どころではなく、さながら本人がのり移ったような気迫をみなぎらせた。そのあとに、ふと意識を取り戻す瞬間がおとずれる。友人はあたりをきょろきょろ見回したあと、「何何、いやだ、怖いー」と言って号泣した。妻は、その恐ろしいスイッチを押した右手をながめたまま、しばらく震えをとめることができなかった。
 現在、友人と妻は友好な関係をつづけていて、先日もうちに家族を連れてやってきた。お互いにこどもを持って、すっかりママらしい風格がでてきた。とりわけ子どもが誰かを叩いたりしたときには怪鳥のような声で激怒する。もしかすると過去のあやまちをそこにリンクさせているのではないか、とぼくは思って見ている。そして、うちのこどもが鏡の前で延々とプリキュアを踊り続けているのを見れば、もしかすると妻の右手で尻でも叩かれたのではないかと思ったりする
 


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