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2018年05月03日11:49

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叔父さんからコペル君へ「ものの見方」

吉野源三郎「君たちはどう生きるか」(岩波文庫) は池上彰さんや宮崎駿さんといった錚々たる方々の愛読書であり、1937年出版後80年経った今も売り続けています。

とくに「漫画 君たちはどう生きるか」は発売半年にして200万部の大ベストセラーとなり、小中学校の教材として、あるいは卒業の際のプレゼントしても利用、学校で漫画版や新装版で一括購入し生徒らに配る動きが多くなっているようです。たとえば関西大中等部では新入生に、埼玉工業大学では卒業生に寄贈しているそうです。

一昨日5月1日の毎日テレビでは池上彰氏が、映画化された画面で
「漫画 君たちはどう生きるか」を30分にわたり解説していました。

知的な好奇心が旺盛な少年「コペル君」と、彼を亡き父親の代わりに見守る教養ある「おじさん」。そんなふたりの心温まるやりとりを通じて、生きる意味を平易に、深く説いてる内容です。

物語は中学生の「コぺル君」と「叔父さん」の交流を描き、コぺル君は友達を裏切ってしまった出来事などを通じ叔父さんとの話で「自分で自分を決定する力」を発見していく。以下、叔父さんからコペル君へのノートを要約抜粋しながら紹介します。

コペル君へ「ものの見方について」

君はコペルニクスの地動説を知っているね。コペルニクスがそれを唱えるまで、昔の人はみんな、太陽や星が地球のまわりをまわっていると、目で見たままに信じていた。

それは、一つはキリスト教の教会の教えで、地球が宇宙の中心だと信じていたせいもある。しかしもう一方突きいって考えると、人間というものが、いつでも自分を中心として、ものを見たり考えたりするという性質をもっているためなんだ。

ところが、コペルニクスは、それではどうしても説明のつかない天文学上の事実に出会って、いろいろ頭を悩ましたすえ、思い切って、地球の方が太陽のまわりをまわっていると考えてみた。そう考えてみると、今まで説明のつかなかった、いろいろのことが、きれいな法則で説明されるようになった。

そして、ガリレイとかケプラーとか、彼のあとに続いた学者の研究によって、この説明の正しいことが証明され、もう今日では、あたりまえのことのように一般に信じられている。

しかし、この説が唱えはじめられた当時は、どうして、どうして、たいへんな騒ぎだった、教会の威張っている頃だったから、教会の教えていることをひっくりかえすこの学説は、危険思想と考えられて、この学説に味方する学者が牢屋に入れられたり、その書物が焼かれたり、さんざんな迫害を受けた。

今日のように、小学生さえ知っているほど、一般にこの学説が信奉されるまでには、何百年という年月がかかったのだ。

人間が自分を中心にしてものを見たり、考えたりしたがる性質というものは、これほどまでに根深く、頑固なものなのだ。

コペルニクスのように、自分たちの地球が広い宇宙の中の天体の一つとして、その中を動いていると考えるか、それとも、自分たちの地球が宇宙の中心にどっかりと座りこんでいると考えるか、この二つの考え方というものは、実は、天文学ばかりのことではない。世の中とか、人生とかを考えるときにも、やっぱりついてまわることなのだ。

子供のうちは、どんな人でも、地動説ではなく、天動説のような考え方をしている。子どもの知識を観察してみたまえ。みんな、自分を中心としてまとめあげられている。電車通りは、うちの門から左の方へいったところ、ポストは右の方へいったところにあって、八百屋さんは、その角を曲がったところにある。静子さんのうちは、うちのお向かいで三ちゃんのお隣だ。

こういうふうにして、自分のうちを中心にして、いろいろなものがあるような考え方をしている。人を知ってゆくのも同じように、あの人はうちのお父さんの銀行の人、この人はお母さんの親類の人という風に、やはり自分が中心になって考えられている。

それが、大人になると多かれ少なかれ、地動説のような考え方になってくる。広い世間というものを先にして、その上で、いろいろなものごとや、人を理解してゆくんだ。

場所も、もう何県何町といえば、自分のうちから見当をつけないでもわかるし、人も、何銀行の頭取だとか、何々中学校の校長さんだとかいえば、それでお互いがわかるようになる。

しかし、大人になるとこういう考え方をするというのは、実はごく大体のことに過ぎないんだ。人間がともかく自分を中心として、ものごとを考えたり、判断するという性質は、大人の間にもまだまだ根深く残っている。

いや、君が大人になるとわかるけれど、こういう自分中心の考え方を抜け切っている人は、広い世の中にも、実にまれなのだ。

殊に、損得にかわることになると、自分を離れて正しく判断してゆくということは、非常にむずかしいことで、こういうことについてすら、コペルニクス風の考え方のできる人は、非常に偉い人といっていい。

たいがいの人が、手前勝手な考え方におちいって、もの真相がわからなくなり、自分に都合のよいことだけを見てゆこうとするものなんだ。

しかし、自分たちの地球が宇宙の中心だという考え方にかじりついていた間、人類には宇宙の本当のことがわからかったと同様に、自分ばかりを中心にして、物事を判断してゆくと、世の中の本当のことも、ついに知ることができないでしまう。大きな真理は、そういう人の目には、決してうつらないのだ。

もちろん、日常僕たちは太陽が昇るとか、沈むとかいっている。そして、日常のことは、それで一向さしつかえない。しかし、宇宙の大きな真理を知るためには、その考え方を捨てなければならない。

それと同じようなことが、世の中についてもあるのだ。だから今日、君がしみじみと、自分を広い広い世の中の一分子だと感じたということは、ほんとうに
大きなことだと、僕は思う。僕は、君の心の中に、今日の経験が深く痕(あと)を残してくれることを、密かに願っている。

今日君が感じたこと、今日君が考えた考え方は、どうして、なかなか深い意味をもっているのだ。それは、天動説から地動説に変わったようなものだから。


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