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2018年04月29日20:10

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4月29日

知人が赤ちゃんをつれてきた。まだ生まれて4ヶ月だという。すやすやと午睡する姿はよくできた人形みたいで、どこかに値札でもぶら下がっていそうに見えた。ある人は、その小さく開いた口を見ていると、小指をさしこんでみたくなると言った。また別のひとは、その口はニジマスと同じくらいの直径ではないかと言う。なぜか口元ばかり着目される彼は、お下がりだというピンクのロンパースをタイトに着こなしていた。
眺めてばかりいずに抱いてみてはどうか、とすすめられた。でもぼくは、大変光栄なことですが、と言って断わらせてもらった。というのも、つい先ほど、ぼくは手をすべらして卵を床に落としてしまったばかりだったのだ。卵の殻は、その衝撃にたえるには柔すぎた。それは不吉な音をたてて割れ、思いのほか派手に飛び散った。今日はぼくにとって、ひとつの命を預かることに向かない日だと思われる。少なくともぼくは、自分の腕を信用することができなかった。なにしろ、彼はこの世に誕生してから、幾ばくもたたないのだ。殻どころか、たましいがそのままむき出しになっている。それをこの不吉めいた手で、触れるわけにはいかないだろう。
しかしぼくとは違い、そこに居合わせた女性陣は、彼を抱き上げることに少しの躊躇もないようだった。ほとんど奪いあうようにして彼を占有すると、高々と持ち上げ、ひょうきんに仕立てた顔面を接近させる。ぼくは卵の先入観があったので、それを後ろから恐々と見ていた。れろれろと上下させる舌が、彼の鼻先をかすめそうになるたびに、ぼくは悲鳴をあげそうになった。そして彼女たちが持ち手を変えるたびに、ぼくは落とすなよ落とすなよと、鼻に筋を走らせて念力を送った。

でも考えてみれば、そこにいたのはみんな、出産経験者だった。その壮絶な体験をしたあとでは、乳児を抱くくらいのことで、ひるんだりはしないのかもしれない。ぼくだって、ことあるたびに我が子を抱いて、あやしてきたつもりだ。でも結局はそれも、卵を落としたくらいで崩れてしまう程度のものなのだ。出産が、どれくらい壮絶なのかというのはよくわからない。男はそれを想像することしかできないわけだ。でも、それがどこまで正確な想像なのかと問われれば、答えに窮してしまう。
実際にぼくが見たのは、獣みたいな息遣いをした妻だった。すでに憔悴しきった表情でいたが、来るべきときにむけて、着実に痛みは増していくようだった。ぼくは事前の知識として、テニスボールを肛門におしつけると痛みが和らぐという情報をしいれていた。だからぼくは、妻の肛門にテニスボールを当てた。「どうですか」と聞くと、妻はかすんだ目で、「悪くないかもしれない」とつぶやいた。その後にぼくは便所へ行き、もどってくると、テニスボールは遠くに投げられていた。その体勢から投げたにしては、かなりの飛距離だと思う。
今、ぼくの目の前で、4ヶ月の赤ちゃんがそんなたくましき腕に抱え上げられている。ぼく一人だけが、ひやひやとそれを見ていた。もし、肛門に押し当てるのが卵だったとしても、やはり彼女たちは投げるのだろうか。それならば、どれくらい飛ばすのか、すこし気になった
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