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2018年04月27日12:47

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劇場化する国会は「昭和の帝国議会」への道 スキャンダルが政党政治を破壊する

 下記は、2018.4.27 付の JBpress に寄稿した、 池田 信夫 氏の記事です。

                       記

劇場政治の主役は、昔も今もマスコミだ

 財務省の福田淳一元事務次官のセクハラ問題で野党6党が審議拒否し、ここ1週間以上、国会は空転している。野党は麻生財務相の辞任を求めているが、なぜ事務次官の個人的スキャンダル(事実は確認されていない)で、大臣が辞任しなければならないのだろうか。

 昨年(2017年)2月に森友学園の問題が国会で追及され始めてから1年以上にわたって、加計学園やセクハラなど、国会審議はスキャンダルで埋め尽くされている。この状況は昭和初期の帝国議会に似ている。当時も議会はスキャンダルに明け暮れ、政党政治は機能停止した。それは「軍部が政党政治を破壊した」といわれているが、本当だろうか。

スキャンダルに明け暮れる国会

 国会で審議拒否が続くのは今に始まったことではないが、2015年の安保国会では曲がりなりにも安保法制という政策が争点だった。ところが森友学園の問題は、大阪の国有地の払い下げというローカルな問題だったが、安倍首相が「関係していたら辞任する」と答弁したり、理財局長が虚偽答弁するなど、政権の対応が混乱して長期化した。

 加計学園も国家戦略特区に「総理の意向」があるというだけの話だが、これも初期には菅官房長官が「怪文書」と断定したのに対して、文部科学省の前川元事務次官が「本物だ」というなど、政策とは無関係な混乱が続いている。

 今年3月に出てきた森友学園の文書改竄は、一連の騒ぎの中では唯一、違法性の疑いのある事件だが、財務省が事実関係を調査中だ。国会でいくら騒いでも進展するはずがない。セクハラに至っては、何をかいわんやである。

 野党の審議拒否は、国会戦術としては合理的である。野党は6党合計しても3分の1に満たず、政府の法案をいくら審議しても否決できない。各党の政策はバラバラなので、まとまって対案を出すこともできない。

 唯一の抵抗手段は、審議を遅らせて重要法案を時間切れで重要法案を廃案に持ち込むことだ。今国会の場合は「働き方改革」だが、その審議は終わったので、内容に文句をつけることはできない。残るのはスキャンダルで審議を止めることだ。

劇場化で自壊した帝国議会

 こういう国会の「劇場化」は、今に始まったことではない。昭和初期の帝国議会でも、政策論争そっちのけでスキャンダルの暴露合戦が続いた。この大きな原因は、1925年にできた普通選挙で、選挙権がすべての成人男性に広がったことだ。

 1926年には大阪の松島遊郭の移転にからんで政治家が業者からカネを受け取ったという怪文書が流される「松島遊郭事件」、陸軍の機密費が政治家への賄賂に使われたという「陸軍機密費事件」などが帝国議会で問題になった。

 中でも奇妙なのは「朴烈事件」である。これは大逆罪(天皇暗殺未遂)で逮捕された朝鮮人のアナーキスト朴烈(ぼく・れつ、朝鮮語読みはパク・ヨル)が、東京地裁の取調室で愛人とともに撮影した写真が流出した事件だが、野党は若槻内閣の「監督責任」を追及した。

 これは政権と無関係なので、若槻首相は最初は無視していたが、扇情的な写真が新聞に掲載されると、野党は大衆受けするスキャンダルを追及し、おりからの金融恐慌とあいまって若槻内閣は総辞職した。

 昭和初期の一連のスキャンダルに共通するのは、政策と無関係なカネとセックスの問題で帝国議会が行き詰まったことだ。それまでの有権者(地主などの高額納税者)と違って、新たに選挙権を得た農民や労働者には外交や経済政策は分からなかったからだ。

 不祥事は野党にもあったので、国民は「政治家はすべて腐敗している」という印象をもち、清廉な軍部に支持が集まった。首相を暗殺するテロが横行し、内閣が倒れた。

 さらに1929年に世界大恐慌が起こり、農村は窮乏化した。これを領土拡大で解決するため、陸軍が大陸に進出したのが1931年の満州事変である。翌年には陸軍の青年将校が五・一五事件でクーデターを図ったが、国民は軍部を熱狂的に支持した。

 この1930年代前半が世論の転換点で、政党も軍部に迎合するようになった。大衆がストレスを発散する最大の劇場が戦争だったからだ。軍部が政党政治を破壊したわけではなく、ドイツのように独裁者が政党を解散させたわけでもない。

 政党は1940年まで合法的に存在したが、大政翼賛会に合流した。政党政治は、大衆に迎合して自壊したのだ(『戦前日本のポピュリズム』、筒井清忠著)。

暴走の主役は新聞だった

 軍部の暴走に歯止めをかけるのが新聞の役割だが、実際には逆だった。「治安維持法による言論弾圧で歯止めをかけられなかった」というのは嘘で、新聞は軍部を支持し、戦争に積極的に協力したのだ。

 昭和初期までは、新聞は「反軍」だった。1931年5月には東京朝日新聞で座談会が行われ、緒方竹虎編集局長の司会で軍縮を求めた。これに陸軍省の幹部が抗議したが、緒方は逆に陸軍大臣官邸に怒鳴り込んだ。新聞の影響力は、陸軍を上回っていた。

 ところが9月に満州事変が起こると、大阪朝日の社説はこれを「自衛権の行使」として擁護し、主筆が「満州国の独立」を肯定した。その動機は単純である。新聞が爆発的に売れたからだ。大規模な「劇場」のスペクタクルと、息子の安否を知りたい親心から、人々は競って新聞を読み、部数は満州事変で50%も増えた。

 劇場政治の主役は、昔も今もマスコミだ。森友学園も加計学園も朝日新聞の報道で、セクハラ騒動はテレビ朝日の情報漏洩だ。無力な野党はマスコミ以外に情報源がない。内閣総辞職に追い込む力もないので、審議拒否で法案を時間切れ廃案に持ち込むしかない。

 いくらスキャンダルで国会を止めても、野党に政権交代の展望はない。希望の党と民進党が合併してできる「国民民主党」は、合計しても支持率2%のすきま政党だ。この点では、戦前より救いがたい状況である。

 今の自衛隊に昭和の軍部のような求心力はないが、政治不信は同じぐらい深刻だ。安倍内閣が求心力を失うと、また毎年首相の変わる「決まらない政治」に戻るだろう。政党政治を破壊するのはマスコミだというのが昭和初期の教訓である。

 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52979
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