■防衛省、暴言自衛官の処分検討=「国民の敵」発言は否定
(時事通信社 - 04月24日 12:30)
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現職の幹部自衛官が民進党の小西洋之参院議員に暴言を吐いた問題で、防衛省は24日、この幹部が同省の調査に対し、「国民の敵」とののしられたとする小西氏の指摘を否定していることを明らかにした。
同省によると、暴言を吐いた統合幕僚監部の3等空佐は調査に、「国益を損なう」「気持ち悪い」「ばか」などと述べたことは認めたが、小西氏が主張する「おまえは国民の敵だ」という発言は否定したという。
同省は暴言であることに違いはないとして、今後、処分を検討する。
3佐は、小西氏について「政府、自衛隊が進めようとしている方向とは、違う方向での対応が多いというイメージだ」と話しており、「個人の尊厳を傷つけるような大変失礼なことを言ってしまった」と反省しているという。
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最近の謝罪では、こういう言い方が多い。失礼な言い方をした、表現が間違っていた、誤解を招いた。
この言い分が新聞による誘導でなければ、彼/彼女らの本心は、当人は決して間違ていない、という点は共通しており、決して論点は譲っていない。
反省など秋刀魚のおこげくらいの価値しかないのでどうでもよい。また自分の主張について取り下げないなどガリレオにおいては美談になっている。あの当時に自分がいたら、やはりガリレオを非難したであろう。なんという奴だ、全然反省していないじゃないか。等々、、、
日本の歴史をさかのぼれば軍部のクーデターが最も大きな事件であって、このクーデターと対峙しながらその後の政治は動いた。政府はクーデターを抑え込むことが最重要課題であったので、それ以外のすべての政策、政治行動はその余暇である。
良識の海軍と戦後はいわれるが、当時の人からすればクーデターを起こしたのは陸軍だけじゃねぇぞ、という話であって、アメリカと戦争するときでさえ、政府の最重要課題はクーデターの抑え込みであった。日本政府はその片手間でアメリカと戦争したのである。勝てる道理がない。
この軍部への警戒は戦後になってシビリアンコントロールという概念によって一応の解決を見た。もちろん、戦前からそういう考えはあった。ただ帝国憲法の統帥権がこの問題を微妙にした。帝国憲法化では、軍人の暴走の前に、まずは政治家の暴走を抑制しようという時期がある。初めて政治家というものが生まれたときに、戦争の素人である彼らが好き勝手に軍部を動かすことは危険である。少なくとも当時の元老たちはそう恐れた。その元老たちの逝去によって、軍部の重しが消える。この真空地帯に真っ先に取り込まれたのが軍部であった。
いずれにしろ、この少佐がクーデター予備軍と見做されるのは当然である。僕は軍法会議があるなら銃殺刑で構わないと思う。こういう種は早めにつぶすしかない。厳罰以外の方法はない。
もし安易な処分、軽い罰則にすれば必ず第二、第三の暴言が起きるであろう。それがこの国の国民性である。舐めた真似をする連中はいくらでもいる。満州国を設立までした関東軍がなぜ戦争中は静かであったのか。梅津美治郎の赴任までそれは留められなかった。
日本国民には誰にでも言論の自由がある。何を主張しても構わない権利がある。だが、それは無制限の自由ではない。本来、近代国家において何もかも自由など、あり得ない。ならば、それなりの権限や権利を持つ人には、より強い制限が課せられる。それは単に話すな、という話ではない。思想の自由さえも制限されるのである。
それが嫌なら自由人になって語ればいい。退職する勇気もない人間が自由気ままに振舞えるような軍隊などこの世界のどの国家にもない。こういう自由をはき違えた人間に武力を預けるのか、という話である。野党とはいえ、政治家に暴論をぶつける人間が、本当に上司に命令に粛々と従うと思うのか。目の前に銃があったとき、それを手に取って上司を撃たないとなぜ言えるか。銃殺である。即刻銃殺である。それが嫌なら最低でも懲戒解雇。そうしない限り、それに続く人たちの足が止まらない。
僕は大河ドラマは梅津美治郎をやるべきだと思う。
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