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2018年04月12日16:52

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訃報から半日で「コナン」から「火垂るの墓」即断変更 日テレプロデューサーの決意「不朽の名作、今こそ」

■訃報から半日で「コナン」から「火垂るの墓」即断変更 日テレプロデューサーの決意「不朽の名作、今こそ」
(ウィズニュース - 04月12日 07:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=5067260

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日本アニメ界の巨匠、高畑勲監督が4月5日、亡くなりました。高畑監督の訃報(ふほう)を受け、日本テレビのレギュラー映画枠「金曜ロードSHOW!」では13日に放送予定だった「名探偵コナン」の劇場版を、高畑監督の代表作「火垂るの墓」に変更しました。高畑監督の訃報が公になってからわずか半日のスピード決断。その背景には、どのような思いが込められていたのでしょうか。日本テレビのプロデューサーに、聞きました。(朝日新聞文化くらし報道部記者・真野啓太)
【画像】節子の笑顔、そして……不朽の名作「火垂るの墓」見ただけで涙の名場面集

「高畑勲監督追悼」の文字
 日本テレビ系列で毎週金曜午後9時から放送されている映画枠「金曜ロードSHOW!」。6日の放送の次週予告では、当初予定されていた「名探偵コナン」の劇場版ではなく、高畑監督の代表作「火垂るの墓」の映像が流されました。画面右上には、「高畑勲監督追悼」との文字が表示されていました。

 「長年にわたり、数々の作品で、お世話になってきた。高畑監督の訃報に接し、番組として何ができるかを考え、最大限の追悼と敬意を込めました」

 「金曜ロードSHOW!」を担当する日本テレビプロデューサーの谷生俊治(たにお・としはる)さん(44)はそう語ります。高畑監督が亡くなったのは5日木曜日の未明。社内での協議を経て、わずか半日で放送番組を変え、予告編を準備したそうです。
 
 「テレビは即応性のメディア。時時刻刻と変わる社会の状況に応じて、視聴者の『見たい』という思いに応えていくにはどうすればいいかと、いつも考えています」
この時代、地上波で流す意味
 「火垂るの墓」は毎年、終戦記念日の8月15日の前後に放送することが多く、今回で13回目。高畑監督の作品としては最多だそうです。物語は終戦前後の神戸市などが舞台となっており、神戸市出身の谷生さんも思い入れがあったといいます。

 「『こんな悲しい映画、放送しないでほしい』という意見を目にすることもある作品。つらく悲しい映画だが、人生のあらゆる段階で『気づき』を得られる、不朽の名作だと思う。自分で見たい映画が選べる時代だからこそ、地上波で流す意味があると考えています」
おなじみの「バルス現象」
 「金曜ロードショー」から「金曜ロードSHOW!」と名前が変わり、ドラマやバラエティーも放送する枠になって、今年で7年目。日本テレビに残る資料によると、1985年10月に「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」を放送して以来、今年3月までに、延べ1520本の映画を放送してきたそうです。

 「金曜ロード」のような、ゴールデンタイムのレギュラー映画枠は、かつては民放の各チャンネルにありました。近年はすっかり減ってきましたが、日本テレビは工夫をしながら、枠を維持してきました。

 2010年代には、「天空の城ラピュタ」の放送時に、ツイッターで一斉に決めゼリフをつぶやく「バルス現象」が起こるなど、ソーシャルメディアの出現で、お茶の間にとどまらない、TV映画枠の楽しみ方が出てきました。

 番組側も、「金曜ロードにしかできない映画体験を」(谷生さん)と、ソーシャルメディアとの連動を意識した仕掛けを打ち出してきました。放送中に作品の裏話を発信したり、好きなシーンや見たい映画を募集したりと、工夫をこらしており、ツイッターの公式アカウントのフォロワーは40万人を超えています。
生き残れたのは「ジブリのおかげ」
 一方で、谷生さんは「サバイブ(生き残る)できているのは、ジブリ作品の存在が大きい」と言うように、高畑監督が宮崎駿監督とともに立ち上げた、「スタジオジブリ」の作品とともに歩んできた番組でもありました。

 1972年に始まった「水曜ロードショー」が、「金曜ロードショー」にリニューアルしたのは、くしくも、スタジオジブリが立ち上がったのと同じ1985年でした。長年、親しまれたオープニングの「映写機おじさん」のショートムービーも、スタジオジブリが手がけたものでした。

 日本テレビによると、ジブリ作品で最も放送回数が多いのは、「風の谷のナウシカ」で17回。その他にも「天空の城 ラピュタ」は16回、「となりのトトロ」は15回と続きます。
「映画との出会いの場をお茶の間に」
 直近5年で、平均視聴率が最も高かったのは、2013年7月に8回目の放送となった「もののけ姫」で、21.9%でした。2015年3月に放送された高畑監督の「かぐや姫の物語」も、18.2%を記録しました。(いずれもビデオリサーチ社調べ、関東地区)
 
 高畑監督の訃報を受け、「火垂るの墓」を放送することになったのは、こうした「金曜ロード」とジブリのつながりがありました。

 谷生さんはこう言います。

 「DVDレンタルもできるし、タブレットで見ることもできるが、今でも一番気軽に映画を見られるのは、地上波だと思う。地上波の視聴者が減っていると言われ、映画枠も危機にあるからこそ、重みと責任と、矜持(きょうじ)を持って、映画との出会いの場をお茶の間に提供し続けていきたいと思います」
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高畑勲の最高傑作が何かは人によって異論のある所だ。作品ごとに新しい挑戦をしていたのは、彼がアニメータでなかったからであろうか。基本的には今ある最高のリソースを投入して、何か新しいものを入れ込む。

その全体的な方向性は、かぐや姫でひとつの結実を迎えたようにも思えるし、いいや、あれでまだ途上だったのたよ、と聞かされても驚くような話ではない。

深夜にやっていたじゃりン子チエは途中から見始めたが止まらなくなった。彼の作家性の源泉に触れた気がしたからだ。

おもひでぽろぽろの下手な声にイライラしながら見た記憶がある。柳葉敏郎の演技がわざとらしいのだけは最後まで頂けなかった。あれは、あれだ。シリアルキラーが最初に女性と出会った時の演技だ。だが、不思議なもので、エンディングのThe Rose を聞いたら途端に許せたから不思議だ。

彼の作品の中ではぽんぽこが一番好きである。まず声がいい。清川虹子のそれで作品に芯が入った気がする。たぬきの描き方だけで5種類ある。それぞれが新しい画風を模索しているかのようで好ましい。

では、「火垂るの墓」はどうか。この一度みたらそれでもう十分な物語がなぜここまで忌避されるのか。なぜ誰もが一度は見ておくべき映画なのか。トラウマとはこういうものだぜ、というのをなぜ日本人は映画(や漫画)で体験しなければならないのか。

最後のホタルたちが飛び交う、そこを兄妹がすっと立ち上がる。その後の歴史を知るものからすれば、この兄弟が多くの生き残れなかった子供たちのひとりに過ぎないと知っている。死にかけた少年の横を通り過ぎてゆく大人たちが見える。あれが、1990年の駅であると言ってなぜいけないか。この作品によってはじめて供養された命とみなして何故いけないか。

何も希望もなく終わってくれるなら、よかった。それならこれだけのインパクトを残さない文科省好みの駄作で終わっただろうから。ただの悲しい過去で終わってくれただろうから。

あの最後の飛び立ってゆく蛍たちは希望の光であった。うっすらと飛び交う蛍の中で、節子たちは笑って行かなかったか。

あんな希望ならいらない。と無自覚が訴える。そうなるように作られている。希望が残っていることは悲劇であるという古い物語もあった。なぜなら希望だけが過去から現在に繋がる一本の糸だからだ。ぶっつりと切り落とされた過去ならば、娯楽として楽しめた。

そこから薄い光が差し込んでくる。これを過去などといって忘却させてたまるか。ここに希望がある。その希望とは何か、この栄養失調で死んでいった少年の中にさえ希望がある、あった。

死ぬことで解決するような問題などこの世界のどこにもない。それはただ中断し、それで停止しただけだ。その問題は生きており、誰かが向き合い、誰かの手から別の誰かの手に受け継がれる。そのバトンを希望と呼んだでのはないか。

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